On April 10, 2016
by 卓 坂牛
昨晩アントンが配偶者にウィーンの印象を聞いたのに対し、美術館の充実をあげると、さも当然という顔をしてオーストリア=ヨーロッパ全土であったと述べていた。それは大げさとしても、ハプスブルグ家がほぼフランスの東側から東はポーランドの一部、北はそいつから南はハンガリーまでを支配していたわけである。そこにあったものが全てウィーンにあるのだと言わんばかりだった。しかしそれにも増して、世紀末のオーストリア独自の美術のそして美術学の充実が魅力的なのである。
今朝は東京駅に集合し、ロラン・バルトが『表徴の帝国』で言う東京の中心の虚を見てからグループに分かれ再度リサーチエリアに散らばった。Good luck.
本日のワークショッププログラムはシークレットスペースの見学から一転して、オブジェクティブに建築を見てもらう。SANAA、FOA,日建設計。僕は大学の卒計展を見るのでそっちは学生とウィーンの先生に任せて夕方OFDAで彼らを待つ。ワインとポールのパンを用意して待ち受ける。准教授のアントンに今日はどうだったと聞くと、まあこの手の巨大建築はどこの都市行って同じだねと興味を示さない。フィリアに大桟橋は2位は篠原一男だったのだよというと知っていてそっちの方が全然よかったと言う。理由を聞くとFOA案はまったく美しくないと言う。外国の人には概してこの建築は受けない。いままでいいと言ったのはモネオくらいである。
一方アントンは神楽坂や荒木町のスモールスケールをもっと見たいと言う。これも外国の方特有の反応なのだが、こういうのをオリエンタリズムと言うのだろうかと思ったりもする。明日のスケジュールと注意点を伝え、OFDAを出て荒木町を一周してから食事へ行く。日本とオーストリアの学生はあっという間に仲良しになっている。若さの力はすごい。
三木義一『日本の納税者』岩波新書、2015を読むとなぜ日本の納税者が税金から疎外されるかわかる。サラリーマンの場合、源泉徴収され年末調整まで雇用者が行い、一方自営業者においては弁護士も理解してない税法に基づく解釈が押し付けられるという両極端な制度によるようだ。本来主権者の自己申告と言う精神が感じられないものとなっている。
ウィーン工科大学の学生16人と先生3人を迎え入れて小さなリサーチプロジェクトのスタートである。こちらの学生は11人。日本の学生1人とオーストリアの学生2人でチームを作り東京の不連続面を探しにスタート。行った場所は四谷、上野、渋谷、原宿、秋葉原、日暮里、代官山、新宿である。昼に飯田橋をスタートし、6時に戻り約2時間その観察を発表。予想以上に東京は複雑で、そして大きい場所に映るようである。
This is my third translation book just published and mailed me today of Adrian Forty Concrete and Culture published originally in 2012 in UK. We decided not to translate the title literally, but to put Japanese title ‘media to shiteno konkurito’ meaning Concrete as Media.
I hope many people will read this book. This is really interesting and entertaining book for sure.
アルミホイールで天井をリノベした五反田の稽古場を使う劇団の公演に招待していただいた。これが二回目である。最初は去年招待され場所は草月ホールだった。今回は紀伊国屋ホールである。設計者が丹下健三に前川国男。こんな招待がなければおそらく来ることもなかったわけで縁というものは不思議なものである。あんな細長いビルの4階の奥に一体どうしてホールが入っているのだろうと前から謎だったが入ってみてやっと分かった。4階にホールがあるわけではなく、上の階にあったのでした。
公演は「小さな結婚式」というタイトルのウエディング企画会社を舞台にしたコメディ。我々のお付き合いしている皆様が舞台では素敵な役者となって輝いていた。
昨日エンリックの博士論文を読み始めている途中で最終盤の論文第一部と第二部がメールされてきた。彼の論文は、白の家、地の家、軽井沢谷川山荘、代々木上原の家、ハウスインヨコハマの五つに対象を絞りこれらの分析を通して篠原を浮き彫りにしようとしている。なぜこの5つかというのがおそらくこの論文の是非を問う大きなポイントの一つになるだろうが、それはさておき、論文第二部は資料編でこれら5つの建物すべての実施図面が整理されている。これは資料としては超一級でありさらにその整理が完璧である。図面リストの日本語、英語版があり、そこにあるものが篠原の描いた図面のすべてであることが明らかとなっている。彼は篠原アトリエで働いているときに図面の複写を願いでて許可を得ていたそうである。
ウィキペディアによると「明治から大正は書家と学者と文人の区別がつきにくい時代で、この時代の第一流の書家といわれた人は学者でもあり詩人でもあった」そうだが、この書の作者である宮島詠士は「純粋な学者でも詩人でもなく、教育家として独特な地位を有する人で、文人書家の特例的な存在であった」と言われている。
という人の書がなぜ我が家の今にぶら下がっているかというと、この人の書に学んだ上條信山に配偶者は書を習っていた経緯があり配偶者の父親がこの書をどこかで頂いたか購入したかしたらしい。
この軸はしかし実に面白い。字がとても不揃いである。大きさも太さも何もかも統一性がない。練習でいい加減に書いているかのようである。僕は書の専門家ではないので適当な事を言っているが率直な感想である。というようなことを配偶者に言ったら「そこがいいでしょう?」と言われまあそんなものかと納得した。
訳あって2010年からのスケッチをかき集めるために2010年頃からのノートを漁った。ちょうどその頃から丸善の布張りノートからこのオレンジ色のノートに変えた。QUODIVASという会社のもので、丸善で売っていたのでその後も取り寄せて使っている。紙質と紙の厚さが好みなのと表紙が頑丈で長持ちするのが長く使っている理由である。このノートに自分でカレンダーを作り、残りのページを大学、オフィス、ワークショップ、レクチャー、メモ、などと分類し、筆記用具も全部このノートに差し込んでいる。文具はこれと小さなスケッチブックの二つだけ持つようにし今のところ大変重宝している。廃番にならないといいなあと思っている。
昨日、昨年のSDレビューで鹿島賞を受賞した伊藤博之さんの辰巳アパートメントハウスを見に行った。佐藤さんの構造で、驚異的な縦横比であることも見事だが、シンプルで明快な構成が目をひいた。EVホールをテラス化した平面。梁せいを使った断面。素材の使い方も無理がない。
こういう建築に対してある立場の方はなに無理して効率悪いことしているんだと言うかもしれない。幾つかのロットをまとめてビッグビルを作る方がマシだと言うかもしれない。しかしそれは違う。こういう小ロットに歴史があって、そのロットだからできる形態に場所性が現れるのである。何でもかんでもまとめたロットにしで日本中どこでもおなじボリュームを作り表面だけエコロジカルという免罪符を貼り付ける建築こそ考え直すべきはずである。