新しい建築フィールド
水野大二郎+ファッションは更新できるのか?会議実行委員会『ファッションは更新できるのか?会議——人と服と社会のプロセスイノベーションを夢想する』フィルムアート社2015の中に水野大二郎は「ひろがりとゆらぎ、角度と精度、ひとりで速くとみんなで遠く—インターネット全体社会のファッションデザインを想像する」という長いタイトルの論考の中でこれからのファションデザイン界を上のマトリックスにまとめている。
このマトリックスは横軸に、個人⇄組織、縦軸に、遠く(間接ビジネス)⇅速く(直接ビジネス)が設けられている。つまり従来の個人ブランドは左下、組織ブランドは右下でありこれらは原則ビジネスとして商品を作っていた。それは基本的には世界的に成長することを目標としていた。一方マトリックス上部はセルフクリエートの場を想定しており原則ビジネス的ではない。そうした野生のクリエーターが集団化すると新たな創造が生まれる。
そんな図である。このマトリックスが実に建築界にもあてはまるので赤で少し書き込んでみた。この場合左上のセルフビルドの野生の建築家は単に生きられた家を作っていた住人を超えた存在と言えるだろう。その野生の建築家が集まったところに生まれるさらなるクリエーションはまだそれこを夢想段階である。
とあるファッショデザイナーの教育
ファッションデザイナーの山縣良和は作るだけではなく「ここのがっこう」というスクールを創設して教育をしている。彼の教育の方法を読んでいたく共感した。彼の重視するのは作るものと人生の連動であり、親や教育や社会によって歪められた自分を素に戻して「自分が今のような美意識や価値観を持っている」ことについて徹底的に向き合うことをさせるという。そしてその素の自分は「共感」を生むかどうかで判断していくという。ただの「素」では意味がないという。そのために作品の批評はまず学生同士で行わせるという。
slouchy
テラスでハイウェル・ディヴィス(Davis, H.)、桜井真砂美訳『ブリティッシュ・ファッション・デザイナーズ』ブルース・インターアクションズ2009(2009)を眺めた。昨日読んだfashion visionariesで世界のデザイナはパリからロンドン、アントワープに重心移動しているその興味の先にこのブリティッシュファッションの本がある。27人のデザイナーが取り上げられその反骨精神としてのブリティッシュファッションが語られる。そして27人のうち15人つまり半分以上がセントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン出身である。もはやこうなると世界に冠たるファッションの中心的学校と言えるだろう。
とはいえ僕はロンドンのファッションがそれほど好きな訳ではない。それはきっとパンクをそれほど理解できていないからだと思う。その中ではステラ・マックイーンの服は好み。英語ではslouchy と表現される「前かがみな緩さ」は建築にも使えそうな形容詞。
ファッション潮流はやっぱりロンドン、アントワープかな?
午前中事務所に平瀬さん、川尻さん、中野さんが来られてグラフィック英語版作成の打ち合わせ。Idea booksという販路http://www.ideabooks.nl/catalogsearch/result/?order=publicatiedatum&dir=desc&q=kajima+instituteがあることを知る。ここからamazon ukなどに広がるとさらにヨーロッパでの広がりが出ると思われる。
中川君と木島さんが熊本から帰京。木島さんから事務所の人全員に必携の品ということでレスキューキットが配られた。いつ何が起こるかわからない。
夕方青山ブックセンターで本買いだめ。その中の一冊がロンドンのファッションライターでヴィヴィアンウエストウッドと働いた経験もあるLinda Watsonの新刊(2015)Fashion Visionariesである全盛期からの伝説的ファッションデザイナー75人が収録されている。それを見ると彼らの活躍国はフランス30人で全体の40%、イギリス16人で21%、アメリカ10人で13%、イタリア9人で12%、日本6人で12%、ベルギー3人で4%、スペイン1人で1%ある。その後配偶者と森美を観察。http://ofda.jp/column/
しかしこの活躍国比率は1950年代以降に生まれたデザイナーに絞るとフランスは23%と激減、イギリスは29%と激増、アメリカ、11%微減、イタリア11%微減、日本4%激減、ベルギー17%激増という結果である。つまりフランス、日本が低調で、イギリス、ベルギーが好調ということである。それを裏付けるように出身学校を見ると、全体ではロンドンセントマーチンズ・スクール・オブ・アート4人で、文化服装学院3人、パーソンズ美術学校3人、アントワープ王立芸術アカデミー2人であるが50年代以降のデザイナーで見るとセント・マーチン4人、パーソンズ2人、アントワープ2人、文化服装1人という結果である。
せっかくの篠田桃紅が
竹中工務店の展覧会が世田谷美術館でやっている。招待状をいただいた。どうせなら竹中設計施工の美術館でやればいいのにと思うのだがないのかな?それにしてもこの題字せっかくの篠田桃紅があまり目立たない。ピンクの半券が強すぎる。
アンビバレンシー
エンリック論文の仮説としてユニークなところは篠原一男が一般に言われる前期後期の二つの性格(前期(A):秩序、抽象vs後期(B):秩序破壊、野生)が初期から同居しておりそれを調停する中でどちらかが強く出てきた結果として4つの様式を捉えたところにある。その仮説を裏付ける例として彼は白の家と地の家が同時に作られたにもかかわらず白の家は秩序、抽象の系(A)にあり地の家が無秩序、野生の系(B)にあることを例示する。そして(A)の系は第二の様式である亀裂の空間へ至りそこで終わる。一方(B)の系は第三の様式である野生、裸系の空間を通り第四の様式へとつながるのである。
このように二つの性格が同居する対象として建築家を捉えたのはチャールズ・ジェンクスがル・コルビュジエをアポロとデュオニソスと捉えてその初期のラショードフォンのデザインを説明したように前例のあることである。前例があるからといってエンリックの仮説の価値が減じられるわけではないが、人間の性格として二重であること特異なことではなくむしろ自然であると言えるだろう。
建築家を含めて表現者は表現の一貫性を貫きたく一つの性格(A)に固執するが、往往にしてそれに反する性格(B)が無意識の中に隠れており、時としてそれが噴出するのが常ではなかろうか?様々な表現者にこの考えを適用して分析したわけではないので推量の域を出ないがそれほど間違っているとは思わない。