京都で阿部さんと邂逅
毎回建築意匠論勉強会は面白い今日は京都大学で3人のお話を聞いたがそれぞれとても身近な話題につながった。
塩崎太伸(東工大)さんは上から思考、下から思考として最後は下から思考が千葉雅也の切断につながった。おおそう繋がるかというのがスリリング。つぎは阿部大輔(龍谷大学)さん。阿部さんは『バルセロナ旧市街の再生戦略』の著者であった。この本超が3つ付くくらい建築の本としては(建築じゃないか)面白い。特にバルセロナの旧市街に出入りしていると実感が湧く本である。
こういうことってあるんだ。そういう著者にばったりあって懇親会でしっかり話ができた。彼はコロンビアにも出入りしているそうなのでラテンアメリカ協会のメンバーがまた一人増えた。最後は山口敬太(京都大学)さん。彼は中村良夫の弟子の弟子という方。僕は中村良夫に修士論文でお世話になっていたので景観とは見えるものか見たいものかかと自問していたが答えはその混合であるということで得心した。2時から6時まで4時間勉強したらぐったり。京都でいっぱいやって9時ののぞみで東京へ戻る。
ご冥福をお祈りしたい
日建入りたての頃、建築家と飲みたくて最初にお呼びした建築家が小嶋さんだった。20代で既に建築家だった。
『フレームとしての建築』を上梓した時、内容に共感すると最初に言ってくれたのが小嶋さんだった。とても嬉しかった。
理科大に来た時に建築家教員も6年経つとただの人になるんだよと言ってYGに去って行った。
大先輩だと思っていたが享年は同い年僕の2倍才能があり、3倍仕事をした人だと思う。本日仕事で母校に行くがご冥福をお祈りしたい。
寺西おめでとう
中学の同級生寺西真人君がパラリンピックの水泳選手を育てている。筑波大付属盲学校の先生なのだがそのうち水泳コーチもやるようになり自分の家に泊めてあげながら河合選手や小林選手を育て上げた。実は私の連窓の家3のクライアントでもある。というわけで中学高校の同級生が集まれるだけ集まってお疲れさん会をした。世界を股にかけたツアーガイド、JCOMの女性お偉いさん、朝日新聞のパブリックコメンテーター、東京大学の言語学の教授、歯科医、小児科医、プラント屋さん、放射線科部長、主婦、アド街ック天国で6位になったしゃれた漬物屋さん、みずほ銀行の副頭取、3月に転職が話題になったアジア開発銀行の女性エコノミスト、実践女子大の美術史の女性教授、女性書家、ジャパンソサエティニューヨークの女性芸術監督、建築家。頭使っている人は若いね。加えて女性が頑張っているのが我々付属のいいところ。
感覚の建築 ハラスマ
パラスマPallasmaaの「The eyes of the skin –architecture and the senses」wiley 2012が届いた。今度の翻訳本候補でもある。けれどサンチアゴに行った時ディエゴがあの本はね、ちょっとねと言っていたので来るのを待っていた。まあ確かに目次を見るとよくある話に見えなくもない。第一部:視覚と知識、視覚中心主義の危機、ナルシスティックでニヒリスティックな目、話す建築見る空間、視覚の建築と柔軟さの喪失、視覚イメージの建築、物質性と時間、アルベルティの窓の否定、新しい視覚と感覚的バランス、第二部:中心の身体、多感覚の経験、影の重要性、音響的親密性、沈黙と時間と孤独、匂いの空間、石の味覚、触覚の形、石の味覚、筋肉と骨のイメージ、行動のイメージ、肉体的同一性、肉体の模倣、記憶と想像の空間、感覚の建築、建築の目的。
宇喜世
上越トークインは本日昼に終了。毎年同じ先生とこの時期お会いするのがだんだんクラス会のように懐かしくなってきた。渡辺真理さん、木下庸子さん、トムヘネガンさん、今村雅樹さん、安原幹さん、山代悟さん、西澤高男さん、宮晶子さん、高橋真さん、今年もありがとうございます。
今年はトークインの内容自体がとても僕にとっては実りがおおかった。というのも学生が考えた雁木カー(動く雁木が屋台にもなる)のアイデアが僕が今科研やPDとの研究でやろうとしている、「ローカリティーを保存するマイクロ・サステイナブル・アーキテクチャー」のアイデアに見事にマッチしたからである。この際この例も来年に継続するようにして入れこもうかな?
昼に終わったトークイン学生、先生は高田で140年の歴史を持つ有形文化財の料亭「宇喜世」で昼食打ち上げとなった。
資本論をどう読むか
父の書斎には私が子供のときからマルクスの資本論が並んでいた。そして今でも並んでいる。その間、様々な本が増えては消えたがこの本が消えることはなかった。彼の人生の支えとなったこの本に何が書いてあるのかを聞いておきたいと思っている。と言うのもマルクスの著書は色々な人が色々な読み方をしてその読み方のアクチュアリティを競う対象のような本だからである(アマゾンで資本論と入れると1459件ヒットする)。
そんな解釈本の一つにフレデリック・ジェイムソン野尻英一訳『21世紀に、資本論をどう読むべきか』作品社2015(2011)がある。80になる気鋭の思想家がどう読むのか知りたく朝早く起きて読んでみた。しかし、正直言うと前書きと後書きを読み、本文を読み、場所を新幹線に移し長野を過ぎたら眠りに落ちた。なのでいい加減なまとめだが、この本のポイントは『資本論』は失業のほんであり、ネオリベラリズムの21世紀にますます、資本主義が加速氏、人々が働けば働くほど失業者が増える。これが『資本論』の結論である。資本主義の矛盾は、よく格差であるといわれるが格差は矛盾ではなく結果。労働が労働を消失させるというメカニズムが矛盾なのである。恐ろしいことである。親父が隅田川あたりでホームレスと話すのが大好きだと言っていたが、彼もジェイムソンと同じように資本論を読んでいるのかもしれない。