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Jun 2017

ドームの連なり

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by 卓 坂牛

夏にウルグアイのペドロに会いに行くついでにディエステのレンガのボールトを見に行くつもりである。彼のボールトには単体のものだけではなく、ウロコのように連なっているものもある。そんな連なりボールトが3年生の製図エスキスに現れた。どういう構造が似合うかな?

某市の部長、課長、係長といっぱい

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by 卓 坂牛

昔から付き合いのある某市の部長課長係長と一杯飲む。こうして話をすると市政のこと、市役所のtこと、家族のこと、いろいろなことが話せて、建築の問題がどの程度のことがよく分かる。そこから提案しないと結局ダメなわけで。。。

新世界の今日

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by 卓 坂牛

富士吉田新世界は40軒くらいの飲み屋の集積でほとんど空き屋状態で解体寸前だったが市が待ったをかけ今新しい使い方を目指して再生中。僕らの研究室でもだいぶ手伝った。この朽ちかけた二階建もサッシュを木建にして中に構造用合板張ったらなんとかなって、こんなしゃれたサインが付いた。曰く、「こんな素敵なお店に連れて行ってくれる男性って素敵ですね」

富士吉田で共同研究

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by 卓 坂牛

今年も富士吉田で共同研究開始。今年のテーマは総務省が推進している地方都市サテライトオフィスの可能性調査、設計。今年度、製氷工場、街中商店街、富士急富士山駅の三箇所でスキームを作り年末報告会。総務省か、山梨県の予算がつけば来年度着工。写真は富士山駅屋上富士山展望デッキ。ここをオフィスにしたら働きたくなるかも。

Francis Kere

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by 卓 坂牛

2017サーペンタインギャラリーの設計者は西アフリカのデルキナファソ・ガンド生まれでベルリンで活躍するフランシス・ケレの設計である。朝ジョギングしながらbbcを聞いていたら彼のインタビューが流れていた。大きな木のようなデザインはアフリカのそれでありそれを取り巻く青い壁は地元のテキスタイルを模したもの。インタビュアーが面白い質問をしていた。もし建築家にならなければ何になっていたか?答えは物書きでアフリカのことを皆に知らしめるような仕事をしていただろうと言っていた。

Loving feeling on pops

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by 卓 坂牛

友人Mと先日近所で飲んだ。彼は築地の新聞社の人で、物書きであり、私によく文章の書き方を教える。またミュージシャンという別の顔を持ち、語らせると長い。語るだけではなく実際唄う。今年も3回ライブを行う予定だそうだ。さて第2の人生はどうするのかと聞いたらラジオDJ をやりたいというので彼らしいと頷いた。というのも、この間引っ越しで断捨離していると学生の頃彼が選曲して録音してくれたカセットテープが出てきたのである。タイトルはLoving feeling on popsそしてそこには、A4、二枚にぎっしり書かれた曲紹介が付いていた。これが読ませる。DJになりたいと聞いて、この曲紹介を思い出し納得したと言うわけである。

English seminar

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by 卓 坂牛

English seminarにアンナ復帰、宮下公園からキャットストリートにかけてのアーバンデザインが修士設計のテーマ。半年の交換留学なのでこのテーマを秋からウィーンに持って帰って継続する。エルンストの指導もあったろうし、オーストリアの傾向なのかもしれないが、街の読みにかなりの時間を費やす。アーバンデザインの場合、インスタントラーメンのごとく降って湧いた形を信頼することは難しい。その意味ではこの慎重さには敬意を払うが、スケールを少し上げていかないと間違えることもある。

個性の生成

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by 卓 坂牛

朝買ってきた5冊の本を通読した。個性の生成過程が知りたいというのが狙いでそこには師匠との関係があるだろうという仮定で読んでみたのだが、、、、、『文藝春秋』7月号の「わたしの師匠」の22のエッセイ(皆師匠のいいことしか書かなくてつまらない)。牛尾喜道、藤森武『我が師、おやじ・土門拳』朝日出版社2016、二人の助手による土門論。土門の強烈な個性がうかがわれる(しかし何を受け継いだかという話は特にない)。ヴィヴィアン・ウエストウッド、イアン・ケリー『ヴィヴィアン・ウエストウッド自伝』DU BOOKS 2016を読むと、彼女がマルコム・マクラーレンとともにパンクファッションを作り、それが時代と合致した様が読み取れる。時代とジムんの好きだったことが合致した。幸運な時代との結婚だったと思われる。『日本の建築家』エーディーエー・エディタ・トウキョー2013からは多くの建築家の個性は読み取れるがその生まれ方は読み取れない。槇文彦『漂うモダニズム』左右社2013で槇の自分史が語られる。実に冷静に自己と世界を分析している。おそらくこの冷静な社会との距離感が槇を槇たらしめていると思われる。特にそれを感じさせる次の言葉は印象的である。「わたしの好きな言葉に『形態とはそれぞれの建築家にとって美の追求の過程における彼自身の倫理のあり方に帰結するのではないか』がある」という一文である。これは倫理という社会的産物が形を作るということの言い換えなである。ここに槇の個性の原点がある。

 

 

師匠論

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by 卓 坂牛

朝、六本木の青山ブックセンターまでジョギング。建築の制作論としてまずは自らのスタイルの生成のメカニズムを考えている。そこにはどうしても師匠論のようなものが必要で師匠をどう乗り越えるのか、すり抜けるのか、否定するのか?あるいは師匠なしで時代を師匠として乗り越えるのか?時代も含めて師匠乗り越えのメカニズムを知りたい。今月号の『文藝春秋』は「私の師匠」特集である。小説家、政治家、哲学者、力士、俳優、建築家までいる面白そうである。ヴィヴィアンウエストウッドの自伝は大部の書。学校時代から綿密に書かれている。土門拳は二人の愛弟子が独立するところまで記されている。槇文彦の漂うモダニズムは半分は自伝。セルトから何を得て何を得なかったのか興味深い。松隈さんの前川論はおそらく松隈さんの独論をもとにまとめたものでずっと読みたかったものである。一体前川はコルビュジエから何を得て何を否定して前川になったのだろうか??

New project

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by 卓 坂牛

新しい仕事が始まりスムースに色々なことが決まり、あと1ヶ月で基本設計終了を目指す。