Archive

Nov 2017

ビル図鑑

On
by 卓 坂牛

bikearch26 青山通りでは恐らく最も古いビルの一つであろう草月会館(丹下健三、11f、1.2万平米、 1977)から赤坂に向かい左手に赤坂センタービル(日建、20f、3.9万平米、2013)がある。庇が長くコンクリート充填鋼管柱だが少し太い。隣にKタワーが昔の鹿島本社ビルの面影をの残しそびえ立つ(鹿島デザイン、30f、5.3万、2012)赤坂を横切り虎の門に来るとJTビル(日建、35f、6.7万平米、1995)、旧NCRビル(吉村順三、松田平田、8f、1.8万平米、1962、2001)が建っている。その隙間から突き当たりにアメリカ大使館(ペリ、1972)が見える。このデザインは飽きない。

静心会書展

On
by 卓 坂牛

4年ぶり4回目となる配偶者(静心)の書道の会(静心会)の展覧会が来月(12月)5日から10日まで(最終日は5時まで)銀座5丁目大黒屋ギャラリー(鳩居堂となり)で行われます。お弟子さん21名の作品、師匠である上条信山、市澤静山先生の賛助作品とともに展示されます。ぜひ足をお運びいただきご高覧ご批評いただければ幸いです。宜しくお願いいたします。
http://www.ginza-daikokuya.com/gallery.html

街も動的平衡で見ることもできるのかもしれない

On
by 卓 坂牛

私が来る前に理科大にいらっしゃった大月敏雄さん(現東大教授)がかかれた『町を住みこなす−超高齢社会の場所づくり』岩波新書2017を読んだのは確かよく行く丸善の本棚で平積みになってしかもポップアップが付いていたからだと思う。私は大学時代の計画の授業が数量で建築を決定しようとする姿勢に馴染めなかった。さらに言えばその理論で出来たキャンパスがすずかけ台だと知るとあまり信じることはできないなと思っていた。そしてそれ以来計画と聞くとひいいてしまうのであった。しかし昨今東北大の小野田先生の本など拝読させていただくと計画も実に面白いものだと思うようになってきた。というタイミングで本書を読みまた新しい計画の可能性を見せていただいた思い出ある。それというのもここでは計画の中に時間という要素が入っているからである。そしてこれはどこかで見たなと思ったのだが先日読んだ加藤耕一さんの『時が作る建築』である。ここでもやはり時間という要素が入っているわけである。これはおそらく20世紀が置き去りにしてきた重要な概念なのである。そしてこれは設計の分野にもこれから強く求められることは言うまでもない。

ところでこの本は計画を時間の視点で語るにあたり、時間、引越し、家族、居場所という切り口からいかに人は町を住みこなし、そして住みこなす町の作り方のエッセンスを語る。その中で面白い話が出てくる。坂本先生設計の星田住宅団地とその隣の住宅団地の間で引越しが行われているという話である。星田は若夫婦ファミリーが住み始めある程度歳になると隣の一段高級な住宅団地に引越しするというこtが調査で分かったそうである。こういう風に町の近くで引越しが起こることは町が多様性を維持しそれ故人口がドラスティックに変わらないのでサスティナブルで時間に耐える町だというわけである。ここで重要なのは町のデザインは個々の建築のデザインもさることながらその中で動く人間の流れである。人間が年齢の変化で遠くへ移住してしまうような町はまずい、近く、近くに流れながらという全体の中で平衡が保たれることがいい町なのだと思う。その意味でここでも動的平衡は有効な概念である。

またもう一つ昨今の医学の話と整合していると思う話。これからの町は高齢化しているから高齢者を街全体で介護するようにしないといけない。そういう町の物理構造でなければいけないという。かたや私の知り合いの医者はこういう「90歳になって必要なのは医療じゃなくて介護と看護。内科的な治療でも外科的な治療でもリスクの無い治療というのは無いので、高齢者が保っている微妙なバランスを治療によって壊してしまわないよう、ちゃんとした医者は極力医療介入を避けるのよ」と言うように、ある歳になったらもう医者に頼ってはいけないのだろうし、医者はもういないし、高いのである。だからなんとなく町の中でのんびりしながら幸せに生を全うするのだろう。そういう町がいるということなのである。
何れにしてももはや時間のスケールの入っていない、アーバンデザインも、アーキテクチャーデザインも不要ということは確か。

坂牛研の論文

On
by 卓 坂牛

ぼくの研究室では下記5つが論文テーマである

1) 建築都市の公共性分析、2)建築意匠のメディア分析、3)建築意匠のジェンダー、視覚、他者、消費、倫理、階級、グローバリゼーションなどの「建築の条件」分析、4)日本建築におけるモダニズム概念の発生その展開分析、5)設計理論研究

そしてこれらを考えるためのテクニカルな手法として
a)フィールド調査、b)ビッグデーター解析、c)建築家分析、d)他理論応用
の4つを挙げている。例えば今年の例で言うと
①パラグアイの日系人建築分析:3)(グローバリゼーション)−a)
②江ノ電隣接空間分析:1)(私有、私用、公有、公用のマトリックス)−a)
③雑賀先路地分析: 路地調査−a)
④安藤忠雄水盤分析:5)−c)
⑤水天宮の街並み景観分析:2)−b)(インスタグラムから街並みへの趣向を割り出す)
⑥公団住宅のリノベ分析:5)−
⑦ヤコブセンの家具分析5)−c)
⑧生物学的動的平衡論を用いた日本住宅分析:5)−d)(生物学理論の応用)
となる。組み合わせで論文を考えて行くシステムを今年から導入してなんとかできたようなので来年に向けて少し改良など加えてみたい。

 

ブランチ

On
by 卓 坂牛

ブランチしにビズタワーに行ったらフォトスポットあり。

建築の新しい見方

On
by 卓 坂牛

朝ブランチしに行こうと思ったら最後の鳥海の卒論が送られてきた。彼女は農大で生物学を学んできた学生なので生物学を建築に応用する論文を書いている。機械論的な合理主義の生物学が、動的平行論でその機械論が一部変化している。これを建築に応用することで建築の合理主義を部分的に見直すことが可能ではないかという仮説のもとに近代美術館でやっていた住宅展の出品作全60作品を分析対象とした。床壁天井を生物でいう皮膜と捉えその容積を満たす時間、空にする時間をそれぞれその建築の内部流動性と内包対流性と名付けその建築の特性を表す数値とした。こうした数値及び部屋のつながりを表す系統図を生物学的に分類すると、この分類から出来る対ポロジーが近代美術館で分類されたタイポロジーと整合するというから不思議である。まだよく読んでいないが概略はこうである。うーん面白い。

築を建築の殻から見るのではなく中外を流動するエーテルで見るあるいは表記するということで建築は環境の中の一つ要素ではなく、建築及びその中の人も含めて環境の一部だと見る視点が作れるような気がする

街のスパイス ギャラリー建築

On
by 卓 坂牛

jog arch 25 六本木駅の裏にあるピラミデ(山下和正、1999)には太田ファインアート、ワコーワークスオブアートが入っている。隣に最近できたcomplex665(JFEシビル、2016)には小山登美夫ギャラリー、高石ギャラリーなど日本を代表するギャラリーが入っている。芋洗坂を下るとストライプハウスギャラリー(山下和正、1981)がある。さらにヒルズまで行き麻布十番に向かい左折するとアイロンギャラリー(渡邉健介、2011)が見えてくる。そこから麻布台越え広尾から恵比寿に行くとアイロンギャラリーのごとく町のコーナーにMA2ギャラリー(千葉学、2007)が建っている。

 

渡邉健介

篠田桃紅も言っている

On
by 卓 坂牛

篠田桃紅『105歳、死ねないのも困るのよ』』幻冬社2017で篠田も言っている。人生は外界との付き合い。外界は自分一人の力では変えられません。しかし自分は幾らでも変えられます。またこうも言う。徹底的にはやらないどこか隙間を残して何かが生まれる可能性、次への糸口を作る。これは佐藤藤卓の塑性の思考(変形したらもとに戻らない性質)やほどほどにに通ずる。

自我を捨ててほどほどを徹底的に

On
by 卓 坂牛

グラフィックデザイナー佐藤卓の著書『塑する思考』新潮社2017で著者はデザイナーのあるべき姿が塑でなければいけないと言う。物質の変形特性に塑性と柔軟性があり塑性は変形するとそれが永遠にその変形した形になる性質、柔軟性は変形してももとに戻る性質である。グラフィックデザイナーはコスト、クライアント要望、素材、などなど毎回異なる条件に対して、自我を捨てて自らを塑にして変形させよという。しかし自我を捨てても個性は無くならないという。またそうした無私の心は彼のほどほどにという精神にも現れる。行き過ぎない一歩手前を徹底して追い込むことがいいものを生むという。建築はかなりグラフィックデザインに似ている。

金属とガラス

On
by 卓 坂牛

jog arch 24 岡田温司さんが半透明の美学を著したのは今から7年前。しかし建築では90年代に長谷川さんたちがパンチングメタルを多用して半透明のレイヤーを作っていた。金属とガラスの組み合わせはその後建築表現の定番となる。北山恒 オムニクォーター 2000、妹島和世 LuceTokyo Kitchen Style 2012