ミレニアルな人たち
仲暁子『ミレニアル起業家の新モノづくり論』光文社新書2017の著者は現在33歳ミレニアル世代(2000年以降に成人した世代)である。彼女は学生時代から起業しビジネスSNSを開発している。そんな彼女の主張は1)ミレ二アル世代はもはやそれ以前の世代と考え方が根本的に異なる。合理的でマイウエィであること。そしてその世代がこれからのビジネスターゲットである。ゆえに2)新しいモノづくりはそうしたマイウエィの人々のなかにトライブ(共通の価値観をもった人の集まり)を見つけ出し、その感性をくすぐる物語を作ってあげることだという。この考え方はおそらく公共性の高い建築においてもある程度重要なモノづくりのクライテリアだろうと感じている。つまり独りよがりはダメだし、一方で単に最大公約数でもダメだということである。なんらかのトライブを見つけ共感できることを感じる必要があるということだ。槇さんがいう共感出来るヒューマニズムということも同じことなのだと思う。
戦わない方法
永井孝尚『「あなた」という商品を高く売る方法』NHK出版2017は学生の就職用にと思って買ったのだが、これは卒計でも卒論でも使える。著者曰く、競争するな戦わずして勝てという。これを、論文や設計で言うなら、ひとの手を付けてないこと探してこいと言うことである。これを僕の過去で言うなら、卒論はコルビジュエ。これは多くの人が手を付ける分野。だから大変だった。卒計は国会議事堂リフォーム。これは稀有なテーマ。修論は摩天楼。これもちょっとない。というわけで卒論以外は作戦成功。卒論も指導教官が、アメリカ人で英語で書いたからなんとかうるさ方の教師を煙にまけた。今年の4年生もテーマを決める時に勝負あり。卒計では是非戦わずして勝つ作戦を立てて欲しい。どうして皆誰もがやりそうなテーマしか思いつかないの?
床の間の遠方性
メディア論を現象学的に語る和田伸一郎の解釈を読み続けていて面白い次なる解釈に出会う。それは物を見たり聞いたりする時はその物の置かれている、あるいはその音が流れているコンテクストがあってそのコンテクストの上でそれを理解する。図と地の概念を使えばそのものが置かれた、発せられた場という地の上で図である音や像が解釈される。しかし電話やモニターから流れ出る音や像はそれらが発せられたコンテクストをほぼ失いかけている。かといってそれらがこちらにやってきて私がいるこの場所のコンテクストに乗ることもできない宙ぶらりんの状態にある。これらの図はどちらの地にも乗れないのである。そこで和田の解釈はこうである。これらの音や像は私の上に乗る。つまりこれらの像の地は私自身だというわけである。私をコンテクストとして再生するのである。
なるほどとお思う。こちらに飛び込む図はすでにコンテクストというそれを理解する補助手段を失い、私の私としての解釈しかありえないということである。少し話を建築的にするなら、建築の持つフレームから飛び込んでくる図は私という地の上で展開するしかない。そして昨日言ったようにそうした図の距離感が重要でなるべく遠方つまりこことは全く異なるコンテクストであるという精神的遠方性を決めるのは私自身ということである。それは私の中で展開し、私の中でその遠方性は判断されるということである。もちろんそれはだから十人十色ということではなく、人としてのある普遍性もあるのだと思う。
そんな意味で僕は例えば床の間というものにとても興味がある。現状ではこの場所はある余剰空間としてフレームのような物理的な骨格を持つ。そしてそこに一輪の花なり、書なり、が置かれる。こうしたものは脱コンテクスト性をもっているのだがそれをこちらが解釈するというのは今まで通りの話である。そうではなくこの床の間に次の間あるいは外につながる穴があったりする可能性を感じるのである。あるいは床の間の天井が吹き抜けになっていたりと、、、、いろいろとこの場所を起点に別のところにある図が放り込まれる可能性がありそれを包む建築的フレームがすでにここにあるということが可能性である。
被覆の原理
jog arch 21 隈研吾の被覆の原理:数年前コールハースがエレメンツ分析していたがファサードはあっても被覆はなかった(床、壁、天井、屋根、ドア、ファサード、バルコニー、廊下、暖炉、便所、階段、エスカレーター、エレベーター、暖炉)。隈さんの被覆はファサードエンジニアリングとは違ってまさに服であり、全身すっぽりと包むところが特徴的。だからコールハースが分類していたエレメンツ(窓やら壁やら柱やらドアやら)の上からかぶせちゃう。今的に言えばダブルスキンなのかもしれないが、どうもそういう言い方とも少し違う。そしてその被覆にはきちんと被覆のテクスチャーがある。サニーヒルズ(2013),分とく山本店(2004)。ヴァンデベルデのように隈さんが服をデザインする日も近い。
西村伊作
jog arch 20 若い頃を御茶ノ水あたりで生活していた母はよく文化学院はいい学校だと言っていた。1921年西村伊作が娘を進める学校を探していたがいい学校がないと言って芸術的で自由を尊ぶ学校を与謝野晶子らと創設したのが文化学院である。学校として認可はされていないものの与謝野鉄幹が慶應教授をしていた関係で文部省も一目おいていたようだ。その上芸術の分野では教えていた人の顔ぶれがすごい。文学部長に、与謝野鉄幹、晶子夫妻や、菊池寛、川端康成、佐藤春夫。美術は、石井柏亭、有島生馬、棟方志功、らが、音楽は、山田耕筰、エドワード・ガントレットなど、ほかにも、北原白秋、有島武郎、芥川龍之介、遠藤周作、吉野作造、高浜虚子、堀口大學、美濃部達吉ら数々の著名人が文化学院で教えたそうだ。
その創設者西村伊作は建築家としても名をはせ、1922年(大正11年)日本郵船ロンドン支店長だった石丸助三郎のために南麻布の鉄砲坂に瀟洒な住宅を設計している。多くの文化人が集った場所らしい。今は結婚式場になっている。この建物も東京では数少ない地震も空襲も乗り切って生きてきた建物である。
遠方性をつくる
映画もテレビも写真も電話も近代に発明されたこれらメデイアはこの場所に無い遠方の何かを近くに引き寄せるものである。そしてこの近くに引き寄せられた像や音に没入すればするだけ、ここにいる自分は「ここ」との関係を希薄化する。つまりここにいる自分は「」に入れられる。さて映画、テレビ、写真、電話を一括りとしたのだが、これらのメディアには大きな差異があって映画と写真はすでに人が表象化したものが近寄ってきている。これに対して電話は生の対象が現前化するのである。テレビはというとここではドラマのようにすでに表象化したものとライブ映像のように生が現前化するものとに別れるわけである。ここで表象化したものが近寄る場合に自分が「」にはいるとするならば、生の現前化したものが近寄る場合に自分は『』に入ると言えるであろう。より自分とこことの関係が希薄になると言える。ここまでは和田伸一郎の『存在論的メディア論』の焼き直しである。
さてこうしたメディアの実存的な視点からの分類を建築に当てはめて考えた末に僕のフレームとしての建築の理路はある。つまり建築という固定的な物体はそれを数回経験するうちに表象化された情報として脳内に蓄積されてしまうだろうという仮説でがその理路の骨子にある。もちろん建築の持つ表現としての強度が毎回その表象を破壊し再構築させる可能性は否定しないのだがそれには様々な要素が必要であり、多くの建築はその可能性に乏しい。一方で建築の建築外的要素、特にその開口部の外側に現れる人、自然、移動する人工物などは表象化されておらず、生の現前として自分に迫るのである。そしてここで重要なのはこの厳然化するものの距離である。メディアを通して何かが近寄る時に自分が引くのはその距離があるからである。この距離感を生み出しているのがメディアの技術なのである。しかるに開口部から飛び込んでくる何者かはその距離感を感じさにくい。建築には残念があらこの距離をつくる技術を持ち合わせていないからである。そこで重要になるのはこの開口部(建築)が対象(建築外的存在)をどれだけ遠くに感じさせられるのかという精神的な距離を生み出す関係性のデザインなのである。その遠方性がフレームデザインのポイントである。いつもそういうことを気にしながらフレームを作ろうと思っている。
南極リサーチセンター
チリの建築家たちが4人でやってきた。カトリか大学の卒業生。歳は30台から40台まで。数ヶ月前にチリ南部南極に最も近い街に南極リサーチセンターのコンペがあり彼らは優勝した。4人の名前はSebastian, Alberto, Cristobal, Canilo。彼らはそれぞれの仕事もあるのだが、どれも結構でかいので驚く。やはり今の経済力の差でしょうか?
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