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Dec 2017

不気味建築

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by 卓 坂牛

飯倉の水平垂直不気味な建築2題。水平はUFOのような霊友会釈迦殿(竹中工務店1975)。とても狭い崖地によく降り立ったものである。垂直はノアビル(白井晟一1974)。これだけ窓の少ない貸しビルもないだろう。不気味は崇高と結びつく現代的な概念であることはこの2つの建築が十全に物語る。

ヒートアイランドを減らすグループフォーム

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by 卓 坂牛

朝ワークショップして午後一で講義してその後ゼミ。M2集中ゼミである。信州大高木研究室でヒートアイランドの研究をして来たRのテーマはヒートアイランドが起こりにくいグループフォームの探求。なるべくデンスに建てる方が熱放射が減少する。

松村ライブ

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by 卓 坂牛

A新聞でパブリックエディターしている親友Mの今年3回目のライブを高円寺JIROKICHI に聞きに行った。冴えてるね。衰えぬ歌唱力。しかし年3回もやるか?

黒川紀章

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by 卓 坂牛

高校の頃黒川紀章の『ホモモーベンス』を読んで都市計画も面白いなと思った。その後建築家としての黒川紀章にさほど魅力を感じたことはなかったが福岡の銀行本店(1975)は吹き抜けの外部空間が公共的で好きだった。この日本赤十字本社(1977)にもそうした建物を貫通する外部空間が作られている。この頃までの黒川は正当モダニズムのヴォキャウラリーで建築を作り上げるが80年代に入ると形態は操作的になってくる。1977年はジェンクスの『モポストモダニズムの建築言語』が世に出た年である。

川辺さんの新作

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by 卓 坂牛


梅ヶ丘に川辺直哉さんの新作を見に来た。北側に長いファサードを持つ集住である。よって普通なら北側に長い単調な廊下が現れるのだが、psをやや内側に入れ構造体として、そこへのアプローチに変化をつけた。それによって北側に豊かな表情が生まれている。

 

石井和紘

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by 卓 坂牛

UCLAを留学先に選んだのは篠原先生とは真逆の世界を見たかったからである。イクスクルーシブな篠原ワールドの真逆はアメリカのグレー派と呼ばれる建築家たちでとてもインクルーシブな考えを持ちその筆頭はチャールズ・ムーアであった。そのムーアが教鞭をとっているのがカリフォルニア大学ロサンゼルス校でたまさか東工大の協定校であったが今と違って協定は何の援助もしてくれないので自分で全てをやらなければならず、重要なのはポートフォリオそして推薦状。どこで当時ムーアが絶大な信頼を置く日本の建築家は石井和紘にお願いした。そんな石井の80年代の作風は徹底したポストモダニズムだった。ゲーブルビルもその一つで1980年にできている。1984年にフィリップジョンソンがAT&Tビルにペディメントをつけて大騒ぎになったが石井は4年前にやっていたというわけである。

友人宅で一杯

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by 卓 坂牛

ジェフを連れて友人のホームパーティーに行く。銀行家、河豚や(その昔)、小児科、そして建築家が集まりその配偶者たちも、教育大付属の小学校の同窓生が4人、中学からの同窓生がそれに加えて2人。なんとも長い付き合いでああいえばこういう仲である。いいワインと、いい魚と、いい肉をこれほど食べられるレストランはないだろうし、仮にあったら一人10万だろうなあ。

朝倉摂の絵画

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by 卓 坂牛

実践女子大学の香雪記念資料館に来た。朝倉摂の絵画展をの最終日。僕は1988-89年朝倉さんと観世栄夫さんと横浜博覧会住友館のヒミコというスーパーミュージカルの仕事をさせていただいた。おふたりの溢れるアイデアにビックリしながらそのおかげで建物もどんどん面白くなりSDレビューに選んでいただけた。朝倉さんはもっと昔に篠原一男とデパートでグループ展をしたり多彩で元気な人だった。自宅は篠原さんの設計で一度中を見た記憶があるのは、ヒミコの打ち合わせの時だったのを思い出した。絵画は初めて見たが素晴らしい。

東京倶楽部

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by 卓 坂牛

2006年から東京倶楽部は六本木に移動。谷口吉生の設計。ガラス張りだが、フロストになるだけでイクスクルーシブな感じ。

メディアの公共性

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by 卓 坂牛

光テレビやIPhoneでBBCを見る(聴く)ようになってから日本のテレビ(ニュース)を見る気がなくなった。不必要な説明や偏向を感じる報道に嫌気がさした。くわえて新聞も朝日のデジタル新聞を取っていたが別にBBCでもCNNでもヤフーでもなんでもいいかと思うようになってしまった。林香里『眼ディア不信ー何が問われているの』岩波新書2017を読みながらそういう風に感じているのは僕だけではないのだなということが分かった。さてしかしメディアがこれからなくなるわけでもなく、そしてある有効性を獲得するならそこに必要なのはメディアの公共性だろうと著者は言う。しかも押し付けがましくない適度な公共性である。これは昨今でも建築でも重要な考えであり、つまり我々をとりまくものが、社会の中の多様性と秩序のバランスを保つことが望まれているということなのだと思う。