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Jan 2018

安心したり心配したり

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by 卓 坂牛

物件A、正月明けで見積希望業者が集まるだろうかと心配したがなんとかなりそうな気配、入札できそうである。ほっとしたのも束の間、別件Bの見積もりはちっとも進展しない、、、やれやれ、、、本当につらい。いよいよ構造に手をいれるか、、仕方ない、、別件Cの構造打ち合わせを前に最新案の模型を見ながらあいも変わらず光の入り方を見る。この建築は斜線だ、防火だ、使い勝手だとかあまり心配せずにおおらかに考えられるのでホッとする。建築は本当に変数の多い生産物である。計画、構造、施工、法規、デザイン、コスト、、、、

戸越銀座

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by 卓 坂牛

戸越銀座のそばで始まったプロジェクトがあったのだが打ち合わせに行ったらとある理由でプロジェクトが止まり寂しく帰路につき、戸越銀座の駅で寒風に吹かれたのを思い出す。その駅が一昨年(2016)にすっかり変身した。木に包まれた駅になっていると聞き見に行った。構造の主体は鉄骨だがまあいいじゃないかという木の化粧である。設計はアトリエユニゾン(鈴木靖)。

神楽坂のスィーツ

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by 卓 坂牛

大学初日でドクターとゼミしながらその間に会議が三つ入りヒーヒー言っているところに、日建の後輩たちが大学訪問。坂牛研OGの本田が差し入れのクッキーを持ってきてくれた「神楽坂のアトリエコータAtelier Kohta」https://tabelog.com/tokyo/A1309/A130905/13136823/という有名なお店のものらしい。なんだかしゃれた箱に入っている。そして、本当に美味しい。HPをみると実に今度引っ越すであろうと期待している場所のすぐそばである。愛用しよう。ありがとう。

高輪消防署二本榎出張所

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by 卓 坂牛

警察署、監獄、裁判所は地方に行ってもそれなりに力の入った建築が明治以来作られてきた。やはり権力の象徴だからだろうか?それに比べると消防署はそれほどでもない。と思っていたらこんなユニークな消防署が高輪に残っていた。名前は高輪消防署二本榎出張所。交差点に位置しコーナーを曲線でデザインし円筒形の火の見櫓がのっかっている。昭和8年(1933)に完成。設計は警視庁総監会計営繕係(担当者は越智操おちみさお)間組の施工とウィキペディアには書いてある。

 

ツバメの建築

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by 卓 坂牛

ツバメアーキテクツの山道くんと最初に会ったのは今から5年前のブエノスアイレスにおいてであった。塚本さんとやっていたワークショップのファイナルレビューにサンチアゴから飛んできてくれて、クリティークをし、その晩皆でクラブに夜の観察に出かけた。そんな彼とはその後も僕のやるラテンアメリカ絡みのイベントには大体来てもらうし、そうじゃないイベントにも来てもらう、つまりなんでも来てもらう。もはや親友である。彼らの事務所がKJに特集されたのは去年の10月ですぐに送ってきてくれたが読む暇がなくて本日じっくり読んでみてわかった。いや前から大体知っていたが彼らも「社会が建築をつくる」と思っている私と同じ思考回路である。しかし僕は社会が建築を作ったあとにあるいはその途中にそれと主体との徹底した葛藤を挿入しようとしている。彼らはそれをストレートにつくる原動力しようとしている。そこが違うということがわかった。かれらのそのストレートな方法論はソーシャルテクトニクスと呼ぶのである。

街中のオブジェ

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by 卓 坂牛

日建時代に菊川工業に製品検査に行った時に我々の製品の脇で銅板の3次元曲面の加工が行われていた。とんでもない形の部品がたくさん並んでいて「なんの建物ですか?」と聞いたら「オフィスです」という。「一体誰の設計ですか」とまた聞くと「フィリップ・スタルク」という返事が返ってきて納得した。というのもその頃アサヒビールのスーパードライホールの金色のオブジェの設計案はスタルクの名とともに世に出回っていたからである。
その後1989年にこのビルが完成したが同年にできたスーパードライホールの驚異的な露出度と異様さから話題はそちらに全部取られてこの地味な変わった形状の建物はあまり騒がれなかったように思う。建築というよりスパードライホールの金色の雲同様街中のオブジェとしてチャーミングである。

 

運動と風景と持続

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by 卓 坂牛

SDレビューに出した「運動と風景」の話を編集者の飯尾さんにしたところすかさず「ベルクソンですね」と言われてからベルクソンの主要な概念である純粋持続について考えている。そして中村昇『ベルクソン=時間と空間の哲学』講談社選書メチエ2014を参考書として少し勉強もした。

ベルクソンは人は自分を「持続」として認識するという。ある瞬間で固定された自分はいないのでこの謂は直感的には容易に理解できる。そしてその時持続は時間を誘発する。普通人は生活の中で一箇所にいて動かないことは少なくなにがしか移動している。移動しながら自分の場所の変化を視覚的に認識することで時間を結果的に意識する。東京から宮ノ下まで移動する時3時間かかったがこの時間も移動の視覚的認識がそれを支えている。しかるに宮ノ下で空の雲をぼーっと見ていると時間の経過がわからなくなってしまった。つまり人は持続を意識するための時間を意識する場合移動(運動)がそれを誘発する都言えるのだろうと思った。「運動と風景」が人が自らを意識する上でかなり重要なテーマであると理解するためにはベルクソンのこうした哲学が補助線を引いてくれることがなんとなく理解されてきたのはやっと飯尾さんに指摘されてから半年たってからである。哲学の理解とはこんなことなのだろうなあと思う。

さてそうなると「運動しない、風景もない」つまり「静止と単視界」というようなテーマが建築にはあるのだろうと思うに至った。もちろんそれは人間の存在にとってどういう意味があるのか分からないのだが、、、

宮ノ下のオーベルジュ

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by 卓 坂牛

デザイナーズリョカンと言う言葉がありそういうのを得意とする設計事務所もある。昨日行った宮ノ下のオーベルジュホテルは調べてみると石井建築設計事務所が2005年頃作ったもので、事務所のHPには100余りの日本全国のデザイナーズリョカンが載っていた。以前箱根で泊まった吟遊もこの事務所の設計であると知る。

宮ノ下

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by 卓 坂牛

昼から宮ノ下に。新宿からロマンスカー乗ろうと思ったら人身事故。まあたまにはのんびりと。本も読まずに雨に霞む山を眺める。食事の最後に出てきた茶碗がいい形。

いつまで生きるというのだ

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by 卓 坂牛

友人の医者にあなたは100までは生きるわよと言われど肝を抜かした。せいぜい85くらいとたかをくくっていたから。そうしたらまた別の友人の医者に120まで生きると言われてもう飽きれた。そこで年齢と性別を入れるとXX年まで生きる確率がでるサイトを発見した。
http://search-quick.com/?si=85680&channel=DP4627

それは実は五木寛之の『100歳人世を生きるヒント』(そんな本さえ売られているのにまた驚いた)を立ち読みしていたらみつけたサイトである。そのサイトで調べてみると私が100まで生きる確率は1.4%で配偶者は6.6%ちなみに90歳までだと私は23.3%配偶者は48.1%である。つまり今58歳の男性が90になると1.4%だけ生き残ると読むわけである。この数字が正しいなら少しはホッとする。頼むから120とか言わないでほしい。しかもお医者さんに言われると焦る。医者の努力を受け止める社会が未完なのだから。