Intihuatana
ペルーを代表する芸術家フェルナンド•シスロ2002年の作品。タイトルはintihuatanaインカ帝国の宗教的な彫刻の名前である
ペルーを代表する芸術家フェルナンド•シスロ2002年の作品。タイトルはintihuatanaインカ帝国の宗教的な彫刻の名前である
早稲田大学の社会学の教授橋本健二が扱う階級問題は正確なデーター分析に基づき信頼性が高い。その橋本氏の新著『新・日本の階級社会』講談社現代新書2018を成田ヒューストン間で読了。この本にはいろいろと面白いところがあるが、最終的には階級社会を変えられるかという問いにある。調査によれば格差解消を考えるには二つの要因がある。一つは格差が拡大していることを認識すること。二つ目は自己責任論を否定することである。しかるに自民党を支持する層のほとんど(資本家、新中間階級、など)はまず格差拡大をあまり認識せず、かりに認識しても自己責任論を肯定する。よって格差解消がなされない。僕は正規労働者階級あるいは旧中間階級あるいは新中間階級に属しているのだろう。そして自己責任論にある程度加担するが格差解消に積極的である。税金をあげて大きな政府になって福祉を充実することに反対しない。その税金を正しく使う限りは。ミサイルを買うために税金を払う気はないが。
先日コンペの審査でお会いした隈研助教の平野利樹さんに博士論文読ませてくださいと言ったらすぐにPDF送ってくれたので昨日の甲府往復で精読した。とても読みやすくモダニズムから2000年までの歴史をオブジェクトというキーワードで紐解いてくれた。研究室の輪読本の一つにしようと思う。僕は拙著『建築の条件』のソーシャルの章で関係性の美学を引いてなぜ美術や建築がリレーショナルなものになったのかということを書いたが実にアイゼンマンのあたりからもリレーショナルな話は解読できるということに目からウロコだった。
コリン・ロウ、ピーター・アイゼンマンはオブジェクトに比較的肯定的だがすでに関係性が入り込み、ペーパーレススタジオのグレッグ・リンはアイゼンマンのフォールディングを前進させオブジェクトを批判的にとらえしなやかさへと昇華する。スタン・アレンはオブジェクトからフィールドへを著し完全に立ち位置を建築の外部へ移動する。その後世界を関係性のなかで捉えることへの反動がオブジェクト志向の哲学に後押しされて登場してきた。それを建築で明示したのはディヴィッド・ルイ。2012年のことである。そこで主張されているのは建築が環境内のパラメーターが与える一時的な計算結果となり・・・・建築が持っていた魔力は取り除かれたという点である。こうしたルイのような気持ちを持っている学生が昨今増えている。特に僕の研究室には少なくない。そしてそれは割と正常な感覚だろうなと思っている。
朝9時から3時間来年度の製図の課題の調整をした。助教の常山さんと非常勤の肩たちと、3年の課題はそれなりにやりやすいルートを作ってあげること、4年の課題は去年の反省を踏まえさらなるステップアップを可能とするようなものを目指し。いい課題となったと自画自賛。午後八潮市役所でいつものマスターアーキテクトの仕事で大規模開発への提言をしてきた。もうこの仕事6年やっているのだがあと任期が4年。全部で10年やる市長直轄の役割だが、市長の任期二期6年より長いのである。もう八潮も大規模開発する土地もないようだが建て替えはありそうである。夕方事務所でだいぶ変わった神楽坂プロジェクトの模型を見る。コストを合わせるために地下量を減らし、形態をやや簡略化している。出張前にやることをいろいろ終わらせる日々。
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