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Jun 2019

Surface architecture

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by 卓 坂牛

モーセン•モスタファビさんの学位論文の審査をするために氏の著書に目を通している。その一つレザボローとの共著サーフェスアーキテクチュアでかつて意味を伝えていた建築の表層がもはや意味は伝えず生産の表れになっていると指摘している。建築の表層は衣服である。かつて衣服は階級とTPOを表していたがその機能が限りなく希薄になっているのと同じである。

ボルタンスキーは

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by 卓 坂牛

ボルタンスキーを10分で駆け抜けた。マップの青いところが撮影可能で撮影しようとして携帯タクシーに忘れたのを知る。残りを見るのに順路がないことに気づく。迷路的な構成自体も作品のようである。

山道家族

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by 卓 坂牛

ベレン来日無事理科大ゲストハウスへ。午後自邸ビデオ撮影。撮影を任せて国立新美術館の配偶者たち5人の会場インタビューに向かう。時間がなくタクシーに乗ったらタクシーに携帯忘れた。人の携帯で連絡したら降りたところに持ってきてくれた。なんと親切。インタビューを聞いてさあ帰ろうとしたら山道君家族が見にきてくれた。ありがとう。詩ちゃん可愛いい!

ガウディ

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by 卓 坂牛

入江先生曰く、ガウディのすごいところはモダニズムの時代に中世の形をどうどうと作ったところにある。普通の神経ならこんなことしていいのかと心配になるものだがと。

建築論の問題群

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by 卓 坂牛

建築論の問題群第3回研究会「自然」は武田五一設計の百周年時計台記念館でスタート。入江さん

曰くガウディは観念として自然を捉えた。能作さん曰く建築は小片の寄せ集め。杉山さん曰くグリーンを個々の活動の歓びにつなげよ。田路さん曰く建築はピュシス(自然)へ向かう。

自然

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by 卓 坂牛

本日京大で行なう「建築論の問題群」研究会のテーマは「自然」である。自然はプラトンが数比を見出し、アルベルティが均斉と関連づけ、フィラレーテやロージエが建築の原始と考え、カトルメール・ド・カンシーがその概念と物の双方に注目し、さらにゼンパー、ラスキンにおいても建築との関連が位置づけられてきた。そしてモダニズムは自然と建築との繋がりを断った。その理論的背景にはヴォリンガーの『抽象と感情移入』があり建築はもはや自然を表彰するようななにかではなくなる。しかるに21世紀に入り環境主義のもとに建築は再度自然を地球規模で考えなければならない段階にある。という流れを今日の論者は恐らく各論としてお話ししていただけるのだろうと思っている。

しかし僕にとっての自然は毎朝起きて窓越しに見えるトネリコとユーカリの新芽だったり空の青さだったりする。その日々変化するこのものたちの息吹が建築との関係の中でとても重要なのである。それは建築の本質でもないし概念でもないし環境でもない気がする。

 

 

 

斜めの機能

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by 卓 坂牛

建築形状のデフォルトは水平垂直だが、『斜めの機能』という有名な本では床の斜めが身体に訴えると述べている。わが家には斜めの線が平面的にも断面的にも多い。ここにも身体的な効果が色々ある。

聞く力

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by 卓 坂牛

大学には教えるのが大好きな先生がいて頼みもしないことを丁寧に時間をたっぷりかけて教えてくれる。家に帰ると配偶者がこれまた教えるのが好きで時間はたっぷりかけないが色々と教えたがる。こんなやり方もあるのではと意見したくもなるのだがまあいいかと思って聞いいる。学生もこんな気持ちなんだよなと思う。先日英語の教育法を受講したらいい授業ほど先生は教えないと教えていた。阿川さんの本に聞く力というのがあったがこれも同じ。人を伸ばすには聞いてあげることが重要である。まあそれが有効なのは若い人でオッサンは関係ないのかもしれないが。

第三回公開研究会

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by 卓 坂牛

建築論・建築意匠小委員会+建築論の問題群WG主催の第三回公開研究会を明日京都大学吉田キャンパス百周年時計台記念館国際交流ホールにて13:30より行います。基調講演を建築家の入江正之にお願いします。演題は「天空への誘い、成長する樹木」です。続いて能作文徳さんに「人新世」、杉山真魚さんに「グリーン」、田路貴浩さんに「ピュシス」について発表していただきます。公開ですので是非多くの方のご来場をお待ちします。

ジャクソン・ポロックの形象と装飾

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by 卓 坂牛

筧菜々子の『ジャクソン・ポロック研究ーその作品における形象と装飾性』を読んで三つ面白いことがあった。一つはポロックの絵はいくつかの層に別れていて初層には人物の輪郭線が描かれているという指摘。二つ目は日本の書道の影響。3つ目は、これが一番気になることだがポロック絵画の装飾性、そしてその装飾性とはグリンバーグの解説によれば視覚的イリュージョンというものでステラの言い方だとワーキングスペースである。ポロックの絵画のパターンが画面から浮き出てくる強い視覚的効果を肯定的に装飾という言葉で評価しているのである。装飾性が様々な観点から見直されている今日、ポロックをそう見る見方に時代の流れを感じる。