本を買う時は
本を買う時は東京駅の丸善に行く。他の本屋には入るがあまり買わない。丸善に行くとカートを借りて自分の順路に沿って回る。定期的に行くので各分野の新刊が一目で分かるので買う判断の助けになる。順路はエスカレータター脇のファッション、写真から始め90度曲がり美術、美学、更に奥に進み現代思想、哲学、一番奥の社会学でユーターンしてエスカレーター脇の特設コーナーを見てからレジ前の新書コーナー。ここで大体終わり。建築コーナーには欲しい本があらかじめ決まっている時以外は行かない。
青木淳さんが月評書く時建築家の言説は読まない、見たものしか信じないと言っていた。僕は言説も大事にしたいが建築界に転がる言説て読むに値するものはそんなにないと思っている。だから書評でも頼まれない限りあまり行かない。
静か
赤城下町に静けさを求めて引っ越したわけではないのだが静かである。
生まれ育った大泉学園は畑の向こうのバス通りのバスの音が定期的に聞こえた。留学中のサンタモニカの家は海岸のはしゃぎ声が響いた。結婚して住んだ早稲田は毎夜酔っ払った学生の声がうるさかった。方南町のマンションは信号の前でブレーキ音に目が覚めた。配偶者の実家下高井戸は住宅地だったけど近くを走る中央高速の低周波が響いた。四谷は比較的静かだったが立て続けに近所に4つマンションが建ち建設音が絶えなかった。仮住まいの赤坂は住んでいた間中横と斜め前が工事をしていて耐えがたい騒音だった。
新居周りはたまに道で遊ぶ子供の声が聞こえるくらいで他には恐ろしいくらい何も聞こえない。
娘
女子大の講義を終えて目白に向かうバスの中はいつも近くの幼稚園児が沢山いて何処かで誰かが泣いている。お母さんはいつも困った顔をしている。記憶が薄れているからなのかもしれないが娘が泣いて困った経験は一度しかない。それは配偶者がとある会合に出なくてはならずホテルのロビーて娘を抱っこしていた時である。あまりに泣き止まず銀座を一周して帰ってきた。不審な目で見られたがそれ以外に泣かれて困った記憶はない。娘とのやりとりで嫌になったのは何かしようとすると合言葉のように出てくる「ちょっと待って」。こう言われるといつも「待たない」とこれも合言葉のように返していた。決めたら即、頼む、買う、食べる、、、、は昔からであまり失敗はないつもりだが家族は皆とても慎重である。
家事
身の回りのことを人に任せていると今に困る、配偶者の負荷を軽減したい、自分で考えた家の使い心地を確認したい、といういくつかの思いが重なり家事をもう少しやることにした。床掃除は毎週末地上は掃除機をかけ地下はルンバに任せる。ゴミ出しは外の大きなゴミ箱に毎日出し、週3回そこから道路に出す。洗濯は自分のものは干す、たたむ、しまうまで自分でやる。買い物は配偶者と半々で勝手に食べたいもの買って帰る。食べもの以外はアマゾン。料理は配偶者がいなけれは自分で作る。いたら作ってもらったり作ったり。というわけで我が家の夫婦家事分担は半々くらい。これくらいは子供がいる頃からやるべきだったのだろうがあの頃は無理だった。
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