先ほどカモメブックスで立ち読みしたエイドリアン・ベジャンの『流れといのち』は前著『流れとかたち』に続く流れ第二弾。流体力学の専門家だから当たり前みたいだけど彼は流れは物理法則だけど、だから生命、非生命全てに当てはまると言う。そもそも物理の語源physikaは自然と言う意味だったのだからと著者は言う。ここで田路さんがこの間とりあげていたphysisを思い出しどちらも動きを基本に置く。ベジャンは生命も非生命も流れ(運動)を促進する形に進化すると説く。それを彼はconstructs lawと名づけている。つまり最近の僕のデザインテーマ「流れと淀み」「運動と風景」は物理的に自然なことなのである。と言う確信を得たのでした。こういう本はいつも行く丸善のいつも行く書架のあたりでは見つからない本なのでカモメブックストでの収穫だった。
増本康平『老いと記憶ー加齢で得るもの失うもの』中公新書2018を読んでいたらキレるオヤジがなぜ増加してきたかの答えが書いてあった。理由は三つあって一つ目は高齢化でオヤジが増えたこと、二つ目は独居、年金不足などで経済、健康不安が高まっていること、そして三つ目は前頭側頭型の認知症で感情コントロールができなくなっていること。なんと我々は認知症といえばアルツハイマーだけだと思っているが他に3つの認知症がありその一つがこの感情コントロール不能症なのである。見境なく怒るあなたは認知症かもしれない。お気をつけください。
神楽坂にはいい本屋がなく、唯一コンセプトがある、カフェ、ギャラリー併設カモメブックスは好みが違うと思っていた。しかし今日ゆっくりじっくり見るとなかなか味のある本がある。思わず1時間立ち読みして3冊買った。たまにはこういうちょっとチョイスの違う本屋で立ち読みすると世界が広がる。
神楽坂に越したので東西線が便利になった。近代美術館に10分で行ける。ので武道館の帰りに寄り道したら高畑勲展をやっていた。高畑と宮崎の出会いが日本アニメを前進させた。
信大の教え子が山田守事務所で担当した日本武道館館の中道場なる1000坪の建物ができて見せてもらった。大空間は魅力的である。本体のそった屋根に対してこちらはむくって応答している。本体のリノベを1年かけてやるために中を調査したら手描き図面の通りできているのに驚くと言う。山田は大きな形で決めて細部は誰もが作れることを考えていたみたいである。
べたっと現場やって設計ってこんなに面白いんだって再確認したと聞いてうれしくなった。
サンチアゴでやるワークショップの課題を考えている。昔ブエノス・アイレスのワークショップをした時、四ツ谷に住んでいたので近所の荒木町を敷地にした。都心の崖が東京っぽくて面白いと思った。今回も東京らしさを地形と密度感に求めることにした。赤城下町と矢来町の間に4メートルの崖があるのでそれを繋ぐ流れと淀みを考えてもらうことにした。三週間のワークショップなので1週目はストリートビューで敷地周辺リサーチ、2週目は4メートルを繋ぐ流れと淀みコンセプチュアルモデルの作成、3週目は僕らが乗り込みそれを建築化する。最初の2週はカトリカ大学の助教が僕の課題書を元に進めめてくれるのだが果たしてうまく通じるだろうか?少し心配。
昨日の勉強会には甘いものが沢山。近所にはアトリエコータなど美味しい店が多い。食べ過ぎないように気をつけないと。
毎月第三木曜日くらいの夜にOBOG有志が自宅アルファスペースに集まり勉強会をし始めて4回目。やっと軌道に乗ってきた。大村君の黄表紙に出す論文が、皆の参考になっている。大村論文は篠原一男の創作は常識を非常識に変換するメカニズムに立脚していると睨んだところに始まる。今僕らはさまざまな創作者の創作物を数値解析してその創作の法則を知る、あるいはその創作を解釈することを行おうとしている。言うまでもなく対象の何を数値化するかが重要でそれは試行錯誤の上決めていくしかない。選び方が良ければ対象は鮮明に浮き上がる。比較的形而上学的思考を好むのに論文は数値解析を好むのにはいくつか理由があるが大きいのは理工系学生に不慣れな形而上学的思考をさせるのは非効率であると感ずるからである。
藤村龍至さんは批判的工学主義をうたい、情報の鵜呑みも忌避も切り捨て批判的に受け入れよと言う。これは批判的地域主義同様、現代社会には不可欠な中庸の教えと私には見える。そんな彼の活動について話しを聞きに行った。最後には例によって自律性、他律性の質問をさせていただいた。一見他律的に生まれている彼の建築は自律的な他律建築だとのこと。
今日から神楽坂はお祭り。ほおずきも並んでいる。梅雨もなんとなく終わったみたいでさあ夏である。
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