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Feb 2020

読点

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by 卓 坂牛

某雑誌に頼まれた原稿校正がかえって来た。1600字の原稿に11個読点が追加されていた。うーん困ったものだ。読点を打たないのはせっかちな癖で、読む時も書く時も、一息入れたくないのでこうなる。ちなみに小学館の編集者豊田の『編集』冒頭は20字に1回読点が打たれている。丸山真男の『日本の思想』冒頭は40字毎。私の『建築の規則』は43字となんと半世紀以上前の文章と同じである。気をつけよう。

スペイン🇪🇸

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by 卓 坂牛

その昔駐アルゼンチン日本大使が「まあラテンの国ですからものごと日本のようにはすすみません」と言って笑っていた。しかしそんなラテンアメリカ人がもっと時間にルーズだと言うのがスペイン人である。そしてそれは経験上正しい。僕もマドリード工科大学との協定を結ぶのに1年待たされた。またバルセロナの建築家の原稿を1年待った。今も別件でマドリード、バルセロナからのメールを待っているのだが相手は待たせている気はないから待つのはやめた、忘れよう。経験上彼らからは忘れた頃届く。

博士論文の量

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by 卓 坂牛

論文合否判定の一つの目安に量がある。文系では文字数を指定している専攻もあるが理系では見ない。質は量で担保されないと考えられるから。しかし理系でも建築の歴史、意匠などでは質も量も重要で、それはデザインプロジェクトでも言えることである。量については新書本一冊分くらいは欲しい。全部文字なら15万字。しかし意匠の論文なら分析図や表がある(一次資料としての図面や写真は含まない)。これらは文字に匹敵するのでこれらを含み100ページ(1ページ1500字程度)くらいが目安だろう。それに一次資料がはいると150〜200くらいになると思う。まあだいたいそのくらいの本文をもらったので明日はじっくり赤を入れようと思う。

誤解

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by 卓 坂牛

スタッフから電話がありクライアントが確認申請料払ってくれないと電話してきた。理由はよくわからないけど、こういう時は先ずは謝るしかない。「内の若い者が粗相したそうで大変失礼いたしました」と心にもないことを言いながら、言い方がヤクザみたいだなと思っておかしくなった。まあちょっとした誤解があっただけの話。

高い?

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by 卓 坂牛

3か月に一度舌のしこりを触診していただいている。今日診察室に入ったらお知り合いに◯◯さんいらっしゃいますかと聞かれた。6年間同級生だった旧友と答えた。それで急に診察が丁寧になるなんてことはなく診療費が安くなることもなくいつも通り終わった(当たり前である)。それにしても1分触って2000円て高いね。6000円と言うことだもんね。

畝森泰行

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by 卓 坂牛

一昨年朝ジョギングしながらスマホアプリの建築マップを使って400近い建築を見た。建築マップには住宅は載らないから山手通りの住宅を見たのは偶然で不思議な建物を見たと思って回りの人に聞いたら畝森さんの設計と知った。その後卒業生が畝森さんのところで働き須賀川市民交流センターの現場常駐となったので見せてもらった。スラブが浮遊する構造に設備を格納して水平の開放性を作る手腕に驚いた。昨日インタビューしていろいろなことが分かりまた一つ勉強になった。

 

In body 測定

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by 卓 坂牛

ジムには精度の高い身体の内部を測定する機器がある。昨日計測したら体重が増えて66キロ台になっていた。一昨日ハイボールを沢山飲んだからだろうか?しかし筋肉量もかなり増えていた。これは毎朝の筋トレのおかげだろう。そのせいかトータルには脂肪は減って体脂肪率が、また一桁に戻った。筋肉が増えたのと、糖質を控えているせいだろう。計測するようになってからずっと一桁で、スポーツ選手でもないのに不自然だと配偶者に言われのんきな食事をしていたら二桁になっていたのだが。

情報の価値

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by 卓 坂牛

小学館の編集者だった豐田きいちは言う。新聞社と出版社の違う。新聞は広告主に抗えないから本当のことを書けないこともあると。それはTVも同じである。さらに両者とも政府にまで抗わない。権力に立ち向かわないジャーナリズムは不要である。粛々と本当のことを伝える広告のない新聞やTV局ができたらきちんとお金を払い情報を購入したい。

生産力

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by 卓 坂牛

研究室助手の大村が中村と設計した住宅の最後の自主施工して今日オープンハウス。卒業、修了生のフォローをしながら、OFDAの実施設計をしながら、研究室の共同研究のまとめをしながら、そしてなにより自らの博士論文まとめながら完成させたパワーが素晴らしい。何か作っていける人にはこういう信じられない生産性がある。だから大村はきっと作る人になると思う。

私の叔母は早稲田の大隈賞をとる秀才で美術史で二川幸夫の少し後輩だった。彼女曰く、二川は学生時代に出版社でアルバイトをしていたがそのうち余りにできるので実質的な編集長になり剛腕を振るい、徹夜の連続で社員が、過労死したと言っていた。日建時代にも週数回徹夜して仕事は部下まかさないIさんなど凄い人がいた。結局作る人はとんでもない生産力が備わっているものである。