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by 卓 坂牛
祖母の料亭でよく食べた食用菊と美味しそうなボイル竹の子を売っていた。今日は和食である。久しぶりに島根の生酒が楽しみである。料理してたら配偶者がやってきて写真撮影。
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by 卓 坂牛
神楽坂に住んでそろそろ1年経つ何を思うか?配偶者は「町に住んでいる気がする」と言う。その内実はおそらくスケールとプライバシーのシークエンスである。駅を降りて大きな通り(早稲田通り)から、中くらいの通り(シンボル道路と新宿区の計画には位置付けられている)を通り、袋小路の2項道路を通り家に着くと言う変化(流れ)である。それが町の中に組み込まれているところが「町に住む」感覚を生んでいるのだと思う。
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by 卓 坂牛
夫婦で家に長く居られるから、断捨離している。でもこの娘の靴は捨てられないで飾ってある。僕がパリで買ってきたもので、あっという間に履けなくなって、従姉妹にあげて戻ってきた。小さい靴はまるでそこに数十年前の小さな足があるかのような愛おしさがある。
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by 卓 坂牛
お濠の逆側から理科大を見るのも悪くない。このファサードを見るたびに思い出すのは篠原一男が東京物理学校で数学を志した理由である。飲んだ時に言っていたが、「中央線が市ヶ谷を過ぎたあたり、金色に輝く建物があまりに美しかった」それが東京物理学校だったというわけである。金閣寺に惹かれた心情をだぶらせているのだろうか?それにしても当時物理学校の建物が一体どこにどんな風に建っていたのだろうか?
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by 卓 坂牛
今日は鯖。ノルウェーの塩鯖280円を炒めてパプリカ、マッシュルーム、ナス、を加え、別にアンチョビソース、ニンニク、パセリをオリーブオイルで炒めてかける。サラダは新玉ねぎにトマト。
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by 卓 坂牛
『建築の設計力』の前書きに、設計の半分はロゴス、半分はパトスなら、半分は伝えられるはずだ、というようなことを書いた。すると本を送った中学の同級生で東大の言語学者が、僕たちの「意味論」も同じ精神でやっていると思いました。と返信をくれた。おそらく現代社会ではどんな行為も半分はロゴスで半分はパトスに負っている。でもパトスって実は心の奥底に沈殿した経験から湧き出たものなので無意識のロゴスなのだと思っている。
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by 卓 坂牛
ゼミでは今まで黄表紙論文を読んでいたが、昨日のゼミで初めて卒論計画案の提示をしてもらった。4人の話を聞いた。実に面白かった、どれもが家から一歩も出なくてもかけそうな卒論の可能性が感じられたから。というかそうしないと卒論が書けないと彼ら/彼女らは実感しているのかもしれない。
例えば店舗に転用された戸建て住宅のファサードをストリートビューで採取してそのファサードを評価グリッド法でzoomインタビューする。とか、昨今の動画メディアに着目して新建築の数百あるオープンソースの動画と静止画の差をzoom インタビューするなどなど、まだまだ考えなければいけないことは山とあるとしても、今できることを考えるとなるほどと思わざるを得ない。
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by 卓 坂牛
ドームができる前には後楽園球場があった。都心で両翼が狭く両翼だけフェンスが高い奇形球場だった。小学校をずる早退して何度か日本シリーズ巨人vs阪急戦を見に来た。
日建に入った頃ドームができ、マドンナ(ストーンズだったかな?)のコンサートに来たのが最後。
人のいない、ラクアも遊園地もドームもなんとも物悲しい。
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by 卓 坂牛
鶏絵柄の小さなポーチ一つ首にぶら下げて夕飯の買い物に出た。美味しい野菜売ってる八百屋さんのお姉さんが「そのポーチベトナムで買ったんですか?」と言われてびっくり。その通り。200円くらいだった。動物の資料入れる袋を細工してコーティングしたもの。安いので大中小と買ってきた。
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