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Oct 2009

退屈したら、、、

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by 卓 坂牛

朝のアサマで東京へ。スペイン語を聞いていたら心地よく眠りに入った。東京長野10分という感じである。丸善で視覚心理と環境心理の本を買って家に寄ってから事務所に。UBA(ブエノスアイレス大学)のロベルトからメール。質問していた大学院の学費の返事が来た。us$200だそうだ。まあただと同じだ。大学の学務から国際大学間協定の雛型を送ってもらったのでこれをロベルトに送る。早いところ協定を結びたい。
補助金の関係で事務所の仕事が少々スローになっている。チャンスとばかり、昨日来の研究テーマの続きを考える。環境心理学の本(羽生和紀『環境心理学』サイエンス社2008)を読むと面白いセオリーに遭遇。人はどのような気分の時にどの様な環境に好感をもつかというセオリーである。それによると人は退屈している時は(覚醒水準が低い時)おっと驚くような環境を好み、興奮している時は(覚醒水準が高い時)落ち着いた環境を好むという仮説である。このおっと驚くは正確に言うと4つの要素があって①不調和②新奇制(見たこともない)③驚き(予想とかけ離れている)④複雑だそうだ。なるほど、今まで僕の知る限りの定説では、建築は環境と調和することのみにポジティブな価値が付けられていたがこの説はそうでもないところが面白い。ちなみにこの理論は「バーラインの対比の特性と覚醒モデル」という名前である。何かに使えるかも?

新たなテーマ

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by 卓 坂牛

あーやっととりあえず書いた科研書類。一日かかるものだ。科研書類をいやだと思わず、自分の建築論を徹底して考える紙だと思ったら急にやる気が湧いた(今朝のことだが)。まあこれでお金をもらえるとはあまり思っていない。お金とれそうな路線は敢えてとらなかったから。やはり興味のあることを突き詰めたくなる。そしてそれを徹底してやってみるととこんな風になるという書類になった。まあできることなら、お金出そうな書類と、やりたい書類の二本立てというのがいいのだろうが、それはお上が許してくれない。そりゃそうだ。
まあしかし徹底して考えてみるのはいいことだ、装飾論と山岳建築をそれぞれ一歩超えた少し面白いテーマと概念が生まれたぞ。「視覚的周辺環境対話型建築の設計指標の研究」というテーマ。建築の図像性と地像性という二つの概念も生まれた。これは修士論文のテーマで誰かにやらせたい。のだが、、、みな設計やりたがるからなあ。来年の4年生にしようか??

さっさとやらないと

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by 卓 坂牛

朝一のアサマで大学に。午前午後とゼミ。夕方教員会議。今日は出席者がなぜか少ない。そのあと教授会。終わってから週末の上越でのトークインの話を聞いたり、博士課程へ行く人間と話をしたり、技術報告集の論文の検討をしたり、来月頭の北村さんのワークショップの話をしたり、なんやかんやで夜。学食は終わったので近くの中華で学生と夕食。食後急に頼まれた奨学金の推薦書を3つ書いて、明後日締め切りの科研の書類を書き始める。書きながら10月末に締め切りの書類がちらつく。加えて気になって手をつけなければいけない雑務もちらちら、そんで持って頼まれている原稿が二つ全く手がついていないことに気づき胃が痛む。まあさっさとやらない自分が悪いのだが、やる気が起きないことはつい後回しになってしまう。

伊藤君の新作

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by 卓 坂牛

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朝早くかみさんが義姉と四国に出かけた。間もなく娘が英検の試験に出かけ、僕は大学の書類を作ったりしていたらマンションの管理人さんがやってきた。下の階の機械室が水浸しなのだがその水が僕の部屋から垂れていると言う。確かに見てもらうと我々の家の機械室のとある部分から水が出て床が60センチ四方くらい濡れている。いや参った。パイプのバルブを閉めてもらい水は止まったのだが、、、、
午後伊藤君のオープンハウスに出かける。駒場東大前の住宅街に建つ5階建ての集合住宅である。各住戸は薄いこげ茶色の広間に面して少し天井の低い白い水回り諸室が洞穴のようについている。この関係性は面白いもので天地を90度回転してもその前後で空間性が維持される。写真を見よ。家に戻り書類の続き。風呂に入りながらコリンズの『脱常識の社会学』を読む。第一章は合理性の非合理的基礎。稲葉振一郎の書いていたネタ発見。稲葉さんの本は新書だからまあ註なしでもいいだろうけれど全く同じことがここに書いてある。社会契約論が国家の基礎だとホッブスは言ったわけだが、世の中を合理的に考えたら契約は成り立たない。なぜなら契約を破る方が儲けを理とすれば、合理だからである。だから社会が成り立つのは合理性によるからではなく、道徳性という非合理なものによるのであると説く。なるほど、それが脱常識ということである。

ローマを思い出す

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by 卓 坂牛

6時に起きて大学に行き、一つ雑用を終わらせてから7時半のアサマに乗る。ちょっと寝不足で車中熟睡。東京駅から日暮里に出て、モノレールにのって二つ目でおりて赤の家に、10時の約束がモノレールを降りてから迷った。行けば分かると思っていたが、右も左も前も後ろも同じ光景である(に見える)。1時間ほどで用事を終えて上野に行く。知っている人(の知っている人)がキュレーションしている「ローマ帝国の遺産」展を見る。結構な人出である。アウグステゥスの話が沢山登場。中学の世界史の時間を思い出す。世界史はローマから始まるから中一の中間テストはローマであった。今でも忘れない、試験はたった一問。しかも確か問題は事前に提示されていたように思う。「ポエニ戦争はなぜ起きたか?」これだけである。正解は忘れた。展覧会を見終わりミュージアムショップに行ったら、山川の世界史図解年表が800円で売られていた。ミュージアムショップで高校の参考書が売られているというのもすごい。昔の世界史年表に比べたら隔世の感がある。カラーで写真も豊富で実に分りやすい。家で見せたら、皆に羨ましがられるほどの見やすさであり娘にとられてしまった。帰宅後ランドル・コリンズ (Collins, R)井上俊、磯部卓三訳『脱常識の社会学』(1982)岩波書店1992を読み始める。前に読んでいたコリンズの『社会学の歴史』の約10年前に書かれた本である。これも稲葉さんの本の読書案内に出ていたものである。目次とあとがき読んだところでやることをいろいろ思出す。原稿の修正してメール、レクチャーシリーズのメール、、、、、

シュート板に向かう能力

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by 卓 坂牛

朝一でゼミ、1時間の即日設計は徐々に皆の力になっているような気がする。まあこういうことは慣れと練習である。インステップキックを蹴れるようになるには1時間でも2時間でもシュート板に向かってキックするしかないのである。2コマ目のデザイン論の講義を終えて昼飯。研究室の院生が新建築の住宅コンペに佳作になったと喜びの報告。この間は新人生優勝。先日も何かのコンペで一次を通り二次審査に残ったと連絡があった。徐々にこういうのにも入るようになってきたようである。社会構築論者であり、ヒュームが言うように社会は習慣で動くと考えている僕にとってはこうした現象は伝播するだろうと楽観的に考えている。つまりどんどん次の学年に伝染するだろう。教育や、慣習などが、学生を作り上げていく、決して才能などではない。才能があるとすればシュート板に向かう才能だけである。午後の製図のエスキス。夜夕食を食べながら技術報告集のチェック。ラーメンが口から飛びそうである。終わって八潮のポスターを見る。まだまだ。もう少しやらないと恥ずかしい。明日は上越のトークインに真理さんに呼ばれて参加する予定が、急遽クライアントに呼ばれ東京に、、、、、

事務所の役割分担

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by 卓 坂牛

午前中ののぞみで大阪へ。夕方日建の集まりがあるのだが、せっかくなので国立国際美術館と弁護士会館を見る。美術館は全面地下化されエントランスが巨大彫刻となっている。ペリの設計である。エントランス周りから差し込む光が地下3階まで落ちていくような設計である。ちょうど長澤英俊の展覧会が行われていた。この建物は東工大の同級生だったキースが卒業後ペリ事務所にはいり担当していたもの。ディテールはたいしたことないが、大きな作りはやはりうまい。美術館を後にして車で弁護士会館へ。これは日建大阪の江副さんの設計。彼は日建の中ではもっとも上手な設計者の一人。スレンダーな柱梁のフレームの裏にガラスの箱を置く設計は僕の長野県信と同じスタイルだが、その細さ、薄さは見事である。またマテリアルがとても凝っている。それでいていやらしくない。思わずうなる。
全日空ホテルへ向かう。年に一度行われる日建のOB会である。300名近い懐かしい顔ぶれ。全役員も出席する。不況のこの時期に未だにこういう催しをし続けられるこの会社は怪物である。久しぶりに会長、社長とも会い比較的ゆっくりとお話ができた。しかし日建をやめて早10年。少々空気の違う世界で生きていると、懐かしいとともに別の世界にきたような不思議な感じもある。
そもそも日建のような会社は社会のエスタブリッシュメントを相手にし、そのクレビリティを売りに生きている。エスタブリッシュメントとは一般的にやや保守的だし、慣習的である。当然その依頼もそうしたものにならざるを得ない。その意味では原理的に日建の役割とは新しい何かを作ることではなく、すでに確立されてきた何かを洗練して、確かなものとすることなのである。今日見た弁護士会館がまさにそれを表している。一方アトリエ事務所とはエスタブリッシュメントから仕事を頼まれることは少ないし、築き上げてきたクレディビリティなど比較的少ないわけで、その意味では自由であり、新しいチャレンジをしやすい。あたりまえかもしれないが、そうしたずれを久しぶりに会って話をすると感ずるのである。しかし一方でアトリエの自由さ革新性は常に可能かというとそうでもない。ランドルコリンズの『社会学の歴史』の闘争理論を読みながら思うのだが、革新的なことをする人たち(革命家)はどうも貧困の闘志などではないのである。彼らは裕福な余裕の人間たちだろうと思われる。マルクスもエンゲルスと言う富裕な友人の支援があったからこそ闘争の思想に没頭できたのである。建築もしかりだろう。食うに追われて革新的なことなどできるわけもない。のぞみ、あさまと乗り継ぎながら車中そんなことをつらつらと思う。

技術報告集

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by 卓 坂牛

昨晩は研究室の技術報告集にひたすら赤を入れ、今日は人の技術報告集を一生懸命読んでいた。たまにこういうものをきちんと読むのも頭をクリアにするのには悪くない。しかし改めて技術報告集の応募規程をきちんと読むと、実際に建築をした中で新たな技術や、計画について報告することがうたわれている。黄表紙一歩手前みたいな言い方をする人がいるが、主旨はかなり異なる。新たな技術の報告なのである。少し自分の設計を振り返り、新たな技術について報告してみるのも悪くない。そう考えると一体新しい技術とは何か?はたと考えてしまう。午後アルゼンチンの展覧会レポートのゲラチェック、100字意見を加筆してほしいとの要望、こういうのが実に難しい。たった100字しかないわけで、、、、終わってひたすら書類作り。結構骨が折れる書類である。3種類作るのだが、文言が分らない。頭をひねる。夜になると突如雷雨。

ルネサンスの知的活動

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by 卓 坂牛

8時半の「かいじ」で甲府へ向かう。補助金の出る時期が少し遅れそうなので、設計のペースも少しスローになった。うまくやらないと気が抜けたビールのようになってしまうので、少しずつきちんと進めていかないといけない。ぺースの保ち方が結構難しい。
行き帰りの車中ランドル・コリンズ (Collins, R)友林敏雄訳『ランドルコリンズが語る社会学の歴史』(1996)有斐閣1997を読み始める。この本は稲葉振一郎の本の『社会学入門』の読書案内に出ていたものである。第一章「社会科学の誕生」の中でルネサンスのヒューマニストたちの知的活動について記されている。当時は書籍のマスメディアはもとより印刷技術も発達していなかったので、彼らの活動は「生で見る一種のスポーツとして普及した」という話が愉快である。つまり彼らはエンターティナーだったということだ。そして科学は娯楽であったとさえ書いてある。最近科学エンターティナーのような方がいるが、ダヴィンチなんて言う人もそういう感じだったのだろうか?

西沢大良氏の林業センター

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by 卓 坂牛

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8時に朝食をとり、まずO君の設計した住宅を見学させていただく。家族3人で暮らす家が約50坪というのは東京と比べるとゆったりしている。ディテールも骨格も面白い。北海道に居ながらにして(O君は北大の先生)九州の仕事をするのはかなり大変だろうがディテールもきちんとできていた。延岡から熊本へ。産業遺産の水道橋(通潤橋)を遠目で見てから、西沢大良氏の林業センター(実質的には体育館)を見る。熊本アートポリスの一環のコンペ作品。外装のカーテンウォールが汚れて透明感が無くなってしまっているが、木構造のしなやかなデザインは昨日の内藤さんを圧倒している。力の流れが想像できないところが形の非慣習性を生んでいる。見事である。今回の建築見学旅行の中で最も刺激的。車の中でメールチェック。槻橋さんから全国学生設計新人戦の結果が速報でメールされていた。信大の3年生が最優秀新人賞に輝いたとのこと。嬉しい限り。めでたい。
さて後は一路福岡空港を目指すのだが、こともあろうに20キロ先で工事渋滞のサイン。連休の最終日の昼間に工事はないだろうと思ったが、一か月続いている大工事。まあ仕方ない。あるところでピタッと車が止まった。まったく動かない。飛行機は6時、時間は迫る。空路をあきらめ陸路「のぞみ」へ。7時頃発の最終で約5時間。幸運にも座れる。
車中スチュワート氏と建築談義。ヨーロッパ、アメリカ、日本の建築論から、ゴシップまで。スターン、シザ、ペリ、マイヤー、篠原、原、磯崎、槇、などなど。1年分の建築の話をし尽くした(ような気分だった)。気がついたら品川。そして東京。家に着いたのは12時ちょっと過ぎ。とりあえず帰れたことに感謝。