シンポジウム二日目。さて今日は昨日のメンバーに加えてModern Architecture since1900の著者William Curtisが来る予定だったが、なんとキャンセル。しかし、原稿とパワポが送られていて代読すると言う離れ業をやってのけた。カーティスのこの本は僕が卒論を書くときにまめに利用した本であり懐かしさもあって一目お会いしたいと思ってわくわくしていたのだが残念である。この本は1982年の初版に続き2版が87年、三版が96年に出ている。それが最近中国語に翻訳されその歴史叙述の方法について議論され、さらに、そこには中国建築は殆ど書かれていないのでこの本はNon-Chinese Modern Architecture since 1900と言うべきだと同済のWang先生が言う。するとAAのマークはヨーロッパ建築だってたいして載っていないのだからこれはExtremely small number of modern Architecture since 1900 と言うべきであると笑わせた。
午後のスピーカーは3人とも中国人。1人はメル大の教授であり残り二人は同済と東南の建築史の教授である。彼(彼女)らが中国建築史を詳細に語ってくれたので僕も殆ど初めて中国建築史を少し知った。彼らは1949年に中華人民共和国ができて徹底した社会主義建築を造った。その特徴はmonumentalization とobjectificaitonだったという。さもありなん。われわれ日本が戦中にやっていたことにかなり近い。僕らは戦後にさっさとそれをやめて民主主義の名のもとにモダニズムを受け入れた(と言っていいのかどうかはまさに今調べているところだが)一方中国はナショナルスタイルをひたすら追っていたのである。
このレクチャーはとても勉強になるのだが、この後のディスカッションは中国建築の明日を巡ってアメリカとヨーロッパの激論である。中国人も入る余地が無い。まして日本人には言葉の問題以前に問題の所在が自分からはかけ離れていた。割り込んで質問をするのに命がけである。
夕食の時に右隣の東南大リー先生に招待のお礼を言い、でも余り話ができなくてスイマセンと謝ると彼女もとてもじゃないけれどこの戦争のような会話に割り込むのは難しいと言う。そうしたら逆隣りに座っていたよくしゃべるイギリス人ピーターがThis is too competitive for you guysと言って彼らも自らの主張を通すのに必死なのだと言っていた。少々見習わないといけないかもしれない。
帰り際に同済大のWang先生が深刻な顔をしてやってきた。彼は僕の同済大での講演会を企画してくれた方。状況がどんどん悪化しているし、僕のレクチャーの日が運悪く18日でかなりまずいと言う。横にいたよくしゃべるピーターがすかさずDoes the18th have special meaning? と聞く。彼らはこういうデリケートな問題にもお構いなしに入って来る。Wangさんも言いにくそうだったけれどThat is the day of Japanese invasionと説明した。満州事変のきっかけとなった鉄道爆破事件の日であり、、、、なんて史実を説明する気もなくただその言葉にドキッとした。英語だとストレートには響かないけれど、日本語にすれば日本が侵略した日ということになる。
部屋に戻ってメールを見ると明日上海駅に迎えに来てくれる同済大の院生から完璧な日本語メールが入っていた。
「・・・・・明日私は上海駅へ出迎えに行きます。最近反日デモが続いているので、他人に目立たないために、英語の『SAKAUSHI Taku』を書いてある紙を記号として使います。
ちなみに私は背が高いので、分かりやすいと思います。こんな意外状況が起こりまして、誠に大変失礼だと思いますが、どうかお許しください。
よろしくお願い致します。」
まるで国外逃亡者の出迎えのようである。しかし良識ある中国人だってもちろん沢山いるのである。
○最前列に並ぶゲストスピーカー
○荒木町スタジオのポイントを披露
昨晩は上海で無事に東南大の院生と空港で会えた。空港から新幹線の駅までタクシーで小一時間。なんと切符は完売で南京まで食堂車の廊下でスーツケースに座って2時間。ホテルはなんとキャンパスの中。
今日は朝からタフな時間。今年で3回目となるAAスクール東南大学の共同主催である第三回現代建築理論フォーラムの初日。完全な英語のシンポジウムに参加したのはこれが初めて。テーマは「過去を発明する(Invention of The Past)」というもの。しかも今日のゲストスピーカーと座長は。
Mark CousinsがAAスクール
Adele N. SantosとYung Ho ChangとStanford AndersonがMIT
Reinhold Martinがコロンビア
Donald BatesとJianfei Zhuがメルボルン大
そして僕(汗)。
しかも演題は
History versus Past
Professional Histories
Rational Reconstructions and Architecure
The Style Versus Method
Learning from History: A case study of the Museum Bridge in Anren
ちなみに僕のタイトルはObserving, Preserving, Transforming La Preesitenze Ambientali (preexisting surroundings)である。簡単に言うとデザインに必要なのは過去の歴史だけでは無く既にそこにある何か(歴史的物語がないもの)も重要でそれを見つけ取り入れて変形させることが重要と話した。
このメンバーがこんな演題を極めてtheoreticalに話すわけである。フーコーやらレヴィ・ストロースやら著名な社会学者や哲学者の引用満載である。これを英語でフォローするのはかなり手ごわい。いや、日本語だとしてもタフな議論である。建築の歴史がデザインにどれだけ有効か?なんていうテーマを朝から晩まで話し続けたことなどないではないか!!!
そして全員のスピーチが終わってディスカッションである。司会のDonald Bates が幸運にも私の提示した問題「歴史とは物語りである」をディスカッションイシューにとりあげてくれたのでラッキーと思ったのものつかの間。話が盛り上がって行くともう迷子である。頼むからこの状態で当てないでくれよと思っていたら、話題が建築は写真か?という問題に移動した。そしたらReinhold が僕が何故プレゼンにヴィデオを使ったのかと分かりやすい質問を投げてくれたので事なきを得た。
いやはや今日は考えされられた。先ずこんなメンバーで(明日はこれに輪をかけて凄いのが来るのだが)シンポジウムを中国で行いしかもそれをアメリカ式に本にしてしまうという企画力と資金力。そして東南大学の教授陣がこれらのメンバーに丁々発止渡り合っているという語学力。そして何よりも中国人デザイナーにとって歴史は借り物ではなく自分たちのモノという事実である。最近日本のモダニズムを考えているとどうにも日本のモダニズム概念の希薄さに焦る。そもそも日本の近代化で入ってきた様式建築が借り物なのに、それを乗り越えるために死に物狂いになるはずもない。とするならば21世紀の建築は何を乗り越えればいいのだろうか?一体僕らは希薄な歴史によって何を目指して建築を作るというのだろうか?
金もない、語学力もない、歴史も希薄な日本の状況はかなり危険である。今日のインターナショナルなメンバーにとって世界はかなりフラットなようである。そんな中でMITもコロンビアもAAも昔は日本人もいたけれど今は留学生の大半は中国と韓国だと言っていた。アジアの国の中では日本はかなりドメスティックな国に見えるようである。そうして今後インターナショナルになったChineseは華僑の協力なコネクションのもと(これは僕の推測)世界中で建築を作り始める。Donald Batesが食事をしながら、「今にイギリスの仕事の大半は中国人がやるようになる。冗談じゃない、そんな状況は10年以内にくるだろう」と言っていた。
先日のコーネルの方が言ったように日本人の建築家を彼らはもちろん知っている、安藤、妹島、西沢、伊東は最も有名ではあるが知っているのは雑誌ネットに氾濫している彼らの写真のようである。彼らが何を考えているのかと言うところまであまり知らない。そしてそういうビジュアルは一体どれだけの意味があるのかと言うのが今日のディスカッションの話題でもあった。必要なのはそれを支えるロジックだと彼らは言いたげであった。もちろん今日集まったのは世界のインテリ理論家である。限られたサークルの中だけで世界を見た気になってはいけない。そうは思う。しかしそう思って見たくないものを放っておいていいのだろうか?
昨晩も今朝もCCTVは魚釣島の話しで持ち切りである。朝ジョギングをしようか戸惑い、今週末は上海で大抗日デモがあるというメールに不安がよぎったのだがシンポジウムを終えたらそんなことはどうでもよくなってしまった。
The essence of my book Rules of Architecture is as follows 1 Making architecture is defined as the activity which you evaluate some essential elements of architecture on the several design value scales. 2. The essential elements of the architecture based on the current architectural situation according to the historical study are thought to be 物(Things)and 間(Space) 3. As for the design value scales , we could propose firstly 3 axes with the help of philosophers Aristotle and Immanuel Kant. 1)Substance axis 2)format axis 3)Relation axis. 4. These 3 axes are broken down into 9small design value scales Substans axis
1)Flatness⇔Roghness
2)Colour⇔White Format axis
3)Transparency⇔Covertness
4)Horisontality/Perpendicularity ⇔Cuvilinearity/Diagonality
5)Bigness⇔Smallness Relation axis
6)Stratification⇔Planness
7)Integrality⇔Partiality
8)Exclusiveness⇔Inclusiveness
9)IndependencyCooperativity 5. Now architecture is defined as follows
物(Things)and 間(Space) be evaluated on the 9design value scales.