On January 21, 2013
by 卓 坂牛
『写真分離派宣言』(青幻舎2012)というタイトルが目に留まった。あれ写真も建築に100年遅れて分離派宣言?と思わず苦笑する。この宣言に名を連ねているのは5人いて全員1963年生まれ。鈴木理策、鷹野隆大、松江泰治、倉石信及、清水穣。写真家3名、批評家2名である。批評家の言葉はおいておき、写真家3名が言いだしっぺ鷹野を中心に二人ずつ対談している内容が面白い。素人の僕が見る限り、鈴木と鷹野は似た者同士、松江はちょっと違う。どう違うかは鈴木、松江の言葉が象徴している。鈴木は写真とは撮り損ねることがあることを前提に撮れたものとどう向き合うかが写真だと言う。被写体と自分の気分を同期させて、他者がつくるきっかけでシャッターを押すと言う。一方松江は100枚撮って一枚を選ぶと言う。つまり鈴木は被写体(他者)任せであり、松江は松江(主体)のイメージを写真にしている。と僕には思える。
さてこんな写真の二つのあり方を読んでいると、なんだか写真は書にけっこう似ていると思えてくる。書も普通は書家の主体的イメージで書いているように見えて、どうも書いている時の空気やら雰囲気のミックスが結果となるように思える。そういう姿は鈴木的である。また一方で100枚書いた中から一枚を選び取るという作業は松江のそれにもよく似ている。結局どちらかではなく両方である。たぶん写真も結局そうなのではないかと実は思う。二人(鈴木と松江)は一見対局に見えるのだが、実は自分のある一面を語っているだけで作業の総体としては両方なのではなかろうか?
ところで分離派宣言といっているのは一体何から分離しているのだろうか?と問いたくなるのだが、どうもそのあたりははっきりしない。デジタルが出てきて写真が変わるという時代の流れの中で何か言いたいということなのだろうが、、、、
On January 20, 2013
by 卓 坂牛
今年は運よくセンター試験の監督者に選ばれなかった。信大時代は全教員がやらなければならなかった。それに比べると理科大はありがたい。
試験監督はそれなりに緊張を強いられる。特にリスニングの対応には気を使う。信大時代は毎年同じような模擬ロールプレイ訓練を毎年させられた。それでも毎年不具合が起こるのはどうしてと言いたいところだが、57万人受けて0.01%くらいの再試ならまあいい方では?とも思うのだがだめだろうか?
ところでリスニング試験は監督者の一人は実際に試験者と同様に問題を聞いていないといけない。昔その役をやらされて、聞くだけではなくついでに解いてみたらだいたいできた。まあ僕程度がだいたいできるなんて、このテストは日常会話程度のものだということだ。自分のリスニング力は自分が一番よく知っている。最近外国の通訳なし会議はちょっと焦る。そこですこしリスニング力の改善をしたいとおもっているのだが一体何がリスニング力増強に効くのだろうか?ある人の説(里中哲彦『英文法の魅力』中公新書2012)によると。とにかく簡単な英文をひたすら声を出して読むのがいいそうだ。この人河合塾講師なのでセンター試験受験者にもそう教えているのだろう。翻訳するときはとにかく音読しよう。
On January 19, 2013
by 卓 坂牛
ディビッド・スチュワート先生から先日いただいた長文のメールの最初の方に「ところで、シネマライズでやっているディアナ・ブリーランドのドキュメンタリー映画見たか?見逃すなよ!」と書いてあった。
ディアナ・ブリーランドとはパリ生まれでアメリカに渡り、50年台にハーバース・バザーでカリスマ編集者となり、60年代にヴォーグ編集長としてファッション界に君臨した女性である。80年代にヴォーグ編集長となったアナ・ウィンターがあの「プラダを着た悪魔」のモデルと噂されているが、この映画を見れば「うっそー!ディアナこそがあのプラダを着た悪魔のメリル・ストリープでしょう」と言いたくなる。部屋に入るなり秘書にコートをぶん投げ、モデルの顔をわしづかみして叫び、スタッフを全員呼びつけ矢継ぎ早に命令する。これはデイアナである。アナ・ウィンターはこれほど激烈な性格とは思えない。
さてこのディアナはとんでもない人だとつくづく思わせる。先ずその発想のユニークさに目を見張る。次にその発想を実現させる粘り強さに驚く。60年代のヴォーグを並べてみればそれに気が付くはずである。しかしそれも10年しか続かなかった。長持ちさせようとしたらあんな編集はできないだろう。最高のモデルを数多連れて世界の秘境まで行くのだから金がいくらあったって足りない。だから10年なのである。しかし無味乾燥な編集を数十年続けていくのに比べたらはるかに意味があった。ファッション誌を芸術の域に高められたのは彼女がいたからである。
この彼女の発想力はどこから来たのか。おそらくとんでもない好奇心からだと思う。実はこの映画を見た後にスチュワート先生にお礼と感想をメールしたらこの映画の英題を知っているかと問われた。もちろん知らないのだが、それは”The Eye Has to Travel”,だそうだ。目は常に旅をして新しいものを発見しなければならないということなのだろう。われわれも同じだあなあと改めて思うところである。
On January 18, 2013
by 卓 坂牛
友人からメールが来た。あの大雪の日に転んで骨折をして場所が悪かったのか入院することとなり、さらに複雑なものだったのか手術をすることになったとのこと。人ごとのようにお大事にとメールをした。転んで骨折なんて老人だなあと内心馬鹿にしていたのだが、今日研究室でちょっと屈んだ拍子に腰に電気が走るように痛みを感じた。あれまずいと思ってじっと椅子に座って本読んでいたら少し良くなったものの基本的に痛い。人のことを馬鹿にしている場合ではないと少々反省。外で配偶者と会っていろいろ用事をしていたら、彼女が急に肩の痛みを訴えた。これはよくおこることなのだが(僕も一度起こったが)五十肩(四十肩)である。急に起こって急に治る。いつものことだがかわいそうである。先日テレビで言っていたがこれは関節の中で骨がささくれだっているのだとか。まあ時の流れには勝てない。あのテニスの錦織圭も腰痛は友達ですと言っていたので、僕も腰痛、足首痛は友達。さらに友達は増加の一途をたどるだろうが。
先日研究室助手にもらったモーラステープなる貼り薬が足首には効いた。腰にも貼ってみようかな?
On January 17, 2013
by 卓 坂牛
久しぶりに南洋堂に行って2時間くらい二階のベンチに座りながら本を物色20冊ほど選んで大学に送ってもらった。大正13年から一番新しいものでも昭和23年。2時間そんな古書のページをくくっていたら手がカサカサになってきた。雑にめくると破けそうなほど紙は劣化している。今日はその当時の住宅の近代化をめぐる本を集中して選んだ。昭和7(8年だったか?)年の朝日新聞が行った住宅コンペの優秀作85選はなかなか充実していた。85案の全図面とカラーのパースがついている。30年代の住宅の諸相がうかがえる。しかし不思議なものでこの当時の住宅のプランを見ていると現代の商品化住宅のプランと実によく似ている。およそ100年たっているのにプランが似ているというのはどういうことなのだろうか?生活が変われば住宅も変わるはずなのにプランが変わらないというのは生活が変わっていないのか、生活は変わっているのにそれを入れる器は昔のままがいいと思う人が多いのか?レトロ趣味なのか?一周してまたもとに戻ったのか????
On January 16, 2013
by 卓 坂牛
モダニズム勉強会では建築というジャンル以外からの日本のモダニズムへの影響関係をさぐろうと試みている。その一つとしては美学、芸術学からの視点である。そこにあるまとまった書として、昭和5年に出版された、美学研究と、芸術学研究がある。これは芸術学研究全4巻の表紙である。なかなかの装丁。フランス綴じ。僕も知らなかったが袋とじになっているものをフランス綴じという。中古なのでほとんどのページはナイフで切られていたが、まだ切られていないページもある。表紙にarchitekturとあるように毎巻建築の論考あるいは翻訳が載っている。さてこの30年代の美学を核とした言説がどれほどリアルな建築にそれほどの影響を及ぼしたのだろうか?
On January 15, 2013
by 卓 坂牛
年初からちょぼちょぼ読んでいる半藤一利の『幕末史』新潮文庫2012がめっぽう面白い。同著者の『昭和史』も面白いが勝るとも劣らず。先日高校の先輩ととある葬式であってその帰り歴史の話になり(その方が歴史を学んでいたからだが)「坂牛、歴史なんてものはなあ、戦争で買ったやつの作った物語よ!」と言っていたが半藤さんも同じことを書いていた。曰く『いわゆる明治維新史は勝った者の歴史ですから、、、、』
On January 14, 2013
by 卓 坂牛
谷川渥先生から年賀状の代わりに小さな手帳サイズの冊子をいただいた。タイトルは『書物のエロティックス』。谷川渥の官能を刺激した100冊の本の紹介という本である。スーザン・ソンタグの『半解釈』、プラトンの『饗宴』に始まり、さてそのあとはほとんど私の知らない世界に突入である。
彼にとってのエロティックスの定義はスーザン・ソンタグのそれであり「あるものがまさにそのものであるということの、輝きと艶を経験すること」。谷川さんは近代で失われた美の本質に常に迫る人であるが、エロティックスもその一つである。
On January 13, 2013
by 卓 坂牛
今朝は寝坊しいて昼近くにジョギング。そのせいか空気が暖かくいい気分。今日は麹町のあたりを走る。遠くに茶色いスパンドレルの建物が見えた。あれあのビルあんな色していただろうか?と不思議に思い近づくと壁面緑化の蔦の葉が枯れて茶色くなっていたのだった。なるほど緑化ビルは色が変わることもある。。紅葉する葉を使えば真っ赤になったり真っ黄色になったりするわけだ。カメレオンビル?
On January 12, 2013
by 卓 坂牛
今日は理科大工学部二部の設計と論文の発表会。それぞれ別室でパワポで発表。設計はさらに違う部屋に図面と模型を用意して昼休みなどに見てもらい採点をした。先生型は常勤非常勤合わせて30名近い。論文は合否判定だが設計は全教員に100点満点採点してもらうので順位が付く。もちろんさまざまな視点の差はあるし、その順位がどれだけの意味を持つかは置いておいてもこうして評価をクリアにみせ、アベレジを出すことに意味はあると思っている。こうして全員の評価を見るとおそらく3つくらいの分布に分かれる。エンジニアリング系の評価、そして建築設計系の先生の評価は2つか3つに分かれる。それはそれぞれの先生の思想による。この国会議事堂を開くという案はやはり意見が分かれるところである。自分自身の卒計が国会議事堂リフォームだったのでこの案には懐かしさを感じる。