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Feb 2013

記憶力低下

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by 卓 坂牛


西荻の家の事務所検査をする。未済工事が多くて見られる所だけの検査となった。設備もまだ全部は動かない。結局もう一回見るのだから一週間遅くてもよかったな。セッティング間違った。
帰宅してメールの束に返信。最近メールを簡単なんものから処理しようとして、面倒くさいものは後回しにする。そしてそのまま放置することとなり、いつしか記憶の領域から抜け落ちて返信せずクレームが来ると言うことがある。人に聞いたら皆(私くらいの年齢の方は)そういうことがあると知って少しほっとしている。メモらなくても、スターマークつけなくても覚えていられると思っている自分が危ない。気を付けなければ。

建築はプログラム?

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by 卓 坂牛


西荻の家の第一回めのオープンハウスを行った。坂本先生が「、、、、プログラムだよな、、、、」とおっしゃる?前後の文脈をあまり覚えていないのだが、、、「、、、、、αスペースも読んだよ、、、、フレームとしての建築も知っている、、、、、」はてプログラムとは何か?と聞くと。どうも建築の使われ方という意味のようである。つまり建築は人によって現象すると言いたげである。でも建築が人で現象するなら人がいないと建築は存在しないことになる。となれば建築家は建築を創っていないことになる。それでいいのか?と先生は言いたげである。
人で現象する建築がある一方で人なしで成立する建築もある。モダニズム建築はその最たるものである。人ありなしの両極で現在の建築は振幅し、その振れのどこに立つかでその建築家の志向が決まる。
これは卒業設計などでもよく表れている。強い形態と方法論で殻を作る者がいるかと思えば極力何も作らず人がその場所をどう使うか人任せな者もいる。

理科大一部工学部建築学科卒計講評会

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by 卓 坂牛

昨日は午後から一部建築学科の卒業設計講評会。と言っても教員の審査は既に終わっているので今日はOB(築理会)の審査会。教員審査での上位15人が一人4分ずつ発表。それを5人の審査員が審査して5つに絞ってからさらに議論。僕が選ぶ5人とは結構違うなあと思って面白かった。5つの中には土地を彫ったり切ったりする案が二つ。路地をさらに複雑にする案。古くに雛壇造成された十条で擁壁を利用した住居群を作る案。建物のスケール操作をした戸建住居群の案。
最後に一等を争ったのは擁壁住居とスケール操作住居。どちらも都市の中での住居のあり方を模索しているが、擁壁住居は都市の中での住居の場所を考えていて、スケール操作住居は住居自体の生成過程を考えている。この両方の思考過程が凝縮すれば文句なく一等なのだが、、、、

○擁壁住居群

○スケール操作住居群

今日の落胆と喜び

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by 卓 坂牛

落胆:午前中卒業設計の簡単なクリティクを宇野先生と行う。明日がオフィシャルな講評会なのだが選ばれた15名だけしか発表できない。それでは選ばれない人が少々可哀そうだということでアンオフィシャルな会をやろうと宇野先生が企画した。だが来た学生は6~7名。発表できない30名近くは一応計画系だからもう少し来るのかと思ったが来なかった。まあそんなもんかねえ?学生って分かってない。先生が何でもやってくれると思ったら大間違い。先生だって叩かなきゃ響かないのだよ。今日の落胆。
喜び1:午後博士論文の公聴会と最終審査会。学習院キャンパスの成立過程を追う論文。その当時の学校設計指針や実例をもとに学習院を相対化する実証的研究である。過去4回の審査会の中でかなり突っ込んだ議論をしつつそれに忠実に応答しながら2か月間で見違えるようにいい論文に仕上がった。最初はどうなることかと思ったが着実に成長した。審査員なんてアリバイみたいなものという場合もたまにあるのだが、今回は一生懸命審査員全員が時間を費やしたかいがあった。今日の喜び。
喜び2:夜来年から研究生になりたいという大連理工大学出身の学生と面接。ポートフォリオはもうひと頑張りという気はするものの、きちんとした受け答え、建築設計における目標、将来のヴィジョンが明快。更に、拙著『建築の規則』を読み、リーテム大倉工場のことも知っていた。これも今日の喜び。

北欧史

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by 卓 坂牛


北欧の歴史を読んでみた(百瀬宏、熊野聰、村井誠人編『北欧史』山川出版社1998)10世紀ころは海賊の国だったけれど、20世紀に入ると二つの戦争でスカンジナビア3国は中立を守ろうと努力する。そして冷戦後もNATOに加盟しつつも自国内に他国の軍事施設は作らない方針を貫いた。日本にはそういう道はあり得なかったのだろうか?

荒木町で塚本さんとαスぺー スの話をします

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by 卓 坂牛


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来週は新宿歴史博物館で先日出版した『塚本由晴+坂牛卓のエスキスチェック αスペース』の出版記念とその題材となったアルゼンチンで行ったワークショップの報告を兼ねたイベント開きます。日時は2月19日2時半から夜まで。場所は四ツ谷にある新宿歴史博物館ですhttp://www.regasu-shinjuku.or.jp/?p=372。今日はそのトークショーの予行演習を研究室で行いました。半分は学生がワークショップの報告。半分は僕と塚本さんでワークショップの敷地となった四ツ谷・荒木町の話やαスペースとは何ぞやという話をします。
昨晩ディビット・スチュワート先生と夕食を一緒にした後いい気分で帰宅途中、偶然塚本さんと四ツ谷で会ったので、一杯やりながら来週何をするか話をしました。飲み過ぎて何を話したかよく覚えていません。でもこのαスペースの意義をしゃべろうと思っています。今日雑誌のインタビューが会ったのでこのαスペースの話をしたら、「これは21世紀の建築の主軸となりますね」と言われたので少し自信を持ちました。是非皆様おいでください。トークショーの後は荒木町のディープな場所で懇親会を行います。楽しみにしてください。

●荒木町にはこんな料亭の名残があります

たんきり地蔵

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by 卓 坂牛


たんきり地蔵というけったいなお地蔵さんが家の近くあった。ぜんそくの人に効くらしい。僕の周りにはその傾向の人が結構いるので行ってみたら?江戸時代からの歴史ある地蔵らしいよ。

都市のエキスを地方に

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by 卓 坂牛


大学で社会人選抜試験を終えて帰宅。エドワード・グレイザー山形浩生訳『都市は人類最高の発明である』NTT出版2012を読む。都市の素晴らしさがこれでもかというほど並べられている。彼にとって都市とは高密度、高コミュニケーション、高学歴。それによって、文化、社会、政治様々な分野においてイノベーションが起こり続ける場所のことである。
このイノベーションが経済を持続させ、文化を豊かにし、カーボンエミッションも減ずるというわけである。全く正しい。都市のアップサイドを見ればその通りである。では都市のダウンサイドを彼はどう考えるか。都市の貧困、その他を地方に追い出したらもっと悪化するし、都市の喧騒がいやで田舎に住むのであれば、そのエネルギー浪費を自ら自覚せよと言う。
例えば中国インドの人々が郊外化して車をアメリカ人並みに乗り回し、アメリカ人並みのカーボンエミッションを生み出せば世界の二酸化炭素排出量は4割増すという。だから今後二国の発展には著者の定義する都市化が必要だという。
都市が様々なアップサイドを持っているのは改めて著者に言われるまでもない。むしろ必要なことはどうやって地方を「都市化」するかではなかろうか?これはこの本を読む前からそう思っていることである。簡単に言えば地方のの高密度化、高コミュニケーション化、高インテリジェント化である。それをその場所なりのやり方でやることが肝要である。それが地方の明暗を分けると僕は思っている。

主人公がインフルエンザ!!

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by 卓 坂牛



午後から翻訳勉強会。セメント1トン作るのに900キログラム以上の酸素排出をするのは避けられないとのこと。世界で一番セメントを作っているのは中国。しかしその中国よりアメリカの方が一人当たりの炭素排出量は多い。うーん。
夜高校の同窓生と夕食。韓国から同窓生の一人が出張で帰国する予定で連休の間に会食をセットしたのだが、主人公がインフルエンザで出張延期。あれあれ。

瞬間を狙うのかあるがままを受け取るのか

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by 卓 坂牛


●ギャラリー小柳hpより
1月に入って初めて土曜休み。うれしい。久しぶりにジムでヨガやって銀座に行く。高田典夫さんが教えてくれた、アンリ カルティエ ブレッソンの「こころの眼」展をシャネルギャラリ―で見た。感想はコラムをどうぞhttp://ofda.jp/column/。「決定的瞬間」を誤解していたことを知ったのが大きな収穫。その足でギャラリー小柳にて開催されている鈴木理策の「アトリエのセザンヌ」を見る。鈴木がセザンヌのアトリエをあるがままにとらえた写真群。セザンヌが外界をあるがままにとらえたことに刺激されたそうだ。
ブレッソンは外界のリズムをとらえながら瞬間を待ってシャッターを押す。かたや眼前の状態をあるがままに受け取る。この差はかなり大きい。偶然近所に置かれた二人の写真家の作品に外界のとらえ方のコントラストを見た。