先週のフットサルで胸をぶつけた時に少しあばらを痛めたようである。未だに左半身が不調。午前中医者に寄って午後大学でゼミ。留学していた信大の教え子が未だ修了していなくて彼女も長野から参加。m2の今頃ってこんなもんだったかな???ゼミ中に老眼鏡のフレームがとれた、、、、トホホ。この米粒の3分の1くらいのネジをなくさないようにしなければと思いメガネケースにいれて大事に持ち帰る。夕方神楽で3年生の講義。今日は自分の学生時代の話を調子よく語る。あれっと気が付いたら9時10分。「ではこれで終了」とそそくさと終わりにして帰宅。さてフレームにネジをつけるぞと意気ごむが、何度やってもはまらない。ネジが小さ過ぎてよく見えない。そりゃそうだ。メガネしなきゃ見えるわけない。そのメガネが壊れているのだから、、、、ヤレヤレ。配偶者のメガネを借りて再度挑戦。そしたらネジが指から零れ落ち絨毯へ落下。ああああああこれはもはや取り返しがつかない。
朝お祭りやっている須賀神社までジョギング。その参道はこの写真のとおり四ツ谷から下って上る。このあたりは都内でも有数の谷だらけの町である。今日はちょっと走るといたるところに町会の会所があり、神輿が置いてある。いくつ神輿はあるのだろうか?
午後都内の友人宅を訪れる。玄関に自転車がおいてあるのであれ自転車やるの?と聞いたらなんと今日午前中大会だったと。よくよく聞いたら自転車の大会ではなくトライアスロンである。彼は高校の一つ後輩。某会社の社長だがもうゴルフは卒業だとか。理由を聞いたら「ゴルフはやり終わっても達成感がないんですよ」だって。こんな社長もいるもんだびっくり。
理科大神楽坂にはゲスト用宿泊施設がある。海外からの講師をお泊めするので見に行った。打ち放し4階建ての建物に7室くらい入っていた。中は結構広く快適そうである。ベッドに掛布団が載っているのが笑えるが。
昼から翻訳勉強会。今日で第九章読み合わせ終了。来月から2回目の読み合わせである。さあピッチをあげて11月頃までには終わらしたい。
理科大二部3年生の合評会。高橋堅、塩田能他、若松均、木島千嘉、川辺直哉、坂牛・呉スタジオの優秀者を全スタジオの先生で講評する。そしてゲストクリティークは先日私の設計した内の家をJTの近作訪問で見に来てくれた京都の若い建築家魚谷繁礼さん。いつもゲストには最初にレクチャーをしていただく。たいていゲストは自分の作品を語るのだが、魚谷さんは自分の作品に加えて京都の都市構造にいついて語ってくれた(修士論文とのこと)。なかなか興味深い。たまに関西の人を呼ぶのは新鮮である。
講評も切れ味鋭く。5軒の長屋という課題に的確な批評を頂いた。ありがとうございます。写真は魚谷賞に選ばれた村田さんの作品。
午前中セルバンテス文化センター(スペイン国が世界中で経営するスペイン語圏の文化会館)に行く。来年アルゼンチンから来る建築家ロベルト・ブスネリとスペインから来るカルロス・フェラテル、そして僕の3国合同展覧会、彼らを入れたシンポジウム、レクチャのコンテンツ、バジットなどの打ち合わせである。ここの館長はなかなかタフな男なので今日は少々厳しいネゴになるかとも思い。最大限にスペインに敬意を表し真っ赤なポロシャツで参上した。
もともと2月末にやる予定をアルゼンチン側の都合で日程変更した手前なかなかこちらも強く出られない状況ではあったが、予算負担や日程はほぼ我々の提案を受け入れてもらえた。やはり赤いポロシャツが効いただろうか???プレゼンは全身で。昔宮脇壇が言っていた。
僕が本を選びPD天内君に進行を任せている輪読に今日は出席した。今日の輪読本は与那覇潤『中国化する日本』である。
この手の本には批判は山とあるが敢えて読ませている。がどうも学生たちの議論を聞いていると不要なディテールに入り込みこの本の歴史枠組みの読み替えの意義に話が及ばない。
この本のポイントは明治維新が自由競争社会を目指し、志半ばにして前時代の江戸的平等社会に戻り、現代ではそれが世界的に推進していることを西洋というこれまでの参照項ではなく中国(宋)という新たな参照項で語ることで歴史を相対化している点にある。
日本の歴史を自由競争社会の挫折という視点から記した書はこれが最初ではない。例えば山本七平が1975年に季刊歴史と文学に連載した「日本型民主主義の構造」も同様である(この論文は『なぜ日本は変われないのか』桜舎2011として復刊されている)。
そこでは日本の組織は西洋のそれと異なり正当の前に調和と平等が重んじられる。明治維新では正当を調和・平等の前面に押し出したのだが志半ばにして挫折してやはり調和・平等が前景化したと記される。
また岩波新書編日本近代史シリーズの第十巻『日本の近現代史をどう見るか』では明治初期は政府と民権派の2極構造では無く、この他に自由競争に乗る気の無い民衆なるものがいて自由競争社会の歯止めになっていたと記されている。
与那覇潤の記述はそれゆえ、その内容の新鮮さにあるのではなくその書き方にある。つまり参照項を西洋から中国へ移動して歴史を相対化した点にある。その意義は一言で片づけられることでは無いが、言うまでもなく最も重要なことは西洋中心的なものの見方を疑った(現在の歴史プロの常識を広報した)ところにある。
欧米が裕福になったのはこの1世紀くらいの話でそれ以前の数百年世界で最も裕福だったのがアジアだったと友人が飲みながら言っていたり、中国の躍進について「元に戻っただけだろう」と親父が言っていた下地には世界を見る枠組みのシフトが不可避である。与那覇の指摘は既に多くの人の共通認識でもある。
最近都心に私立大学のブランチのようなものをよく見かける。四谷には桜美林大学と近畿大学のブランチがある。ここで院の授業とかが受けられるのだろうか?
アシックスの成長をルポしたテレビ番組を見た。ナイキ、アディダス、プーマを追ってシューズ業界第四位だそうだ。
僕らの世代はアシックスはアシックスではなくオニツカタイガーという名で知っている。あの不思議なオニツカラインがアディダスやプーマよりかっこいいと思っていた。僕も高校時代はオニツカのスパイクを何度か使った。しかしその後あまりこのオニツカラインにこだわることは無かったのだが、去年僕の研究室にオニツカラインのシューズしかはいていない学生がいた。それが妙に印象的だったのだが、その学生がデンマークに留学し、その後その学生とコペンハーゲンで会ったらやはりオニツカラインのシューズを履いていていた。「どうして?」と聞いたら高校生の時からオニツカファンでオニツカしか履かないのだそうだ。へえそういう人もいるのだと思っていたら先述のテレビ番組では世界中にオニツカファンがいるとのこと。そしてそういうファンのためにオニツカショップがあるのだそうだ。そしたら原宿の裏の方にオニツカショップを発見。こういのはなんなのだろうか?ヴィンテージの魅力なのか?、、、
金町校舎の隣にある区営のフットサル場で研究室対抗フットサル大会があった。去年は出られなかったが今年は出場。梅雨の中休みで朝から晴天。予選をなんとか勝ち進み決勝トーナメントでは準決勝で負けたものの3位決定戦には勝つ。全5試合の半分くらいは出ただろうか。20代に5混じり50代のおっさんを入れていただき感謝。
やっているときも、終わってすぐも体は何とか持ちこたえていたのだが、金町から神楽へ授業で移動するあたりから足が痛みはじめ階段の上下に悲鳴をあげる。両足捻挫癖があるのでテーピングは完璧にしていたのだがテープの余裕の中で足はがたがた。神楽で授業して帰宅したらほとんど歩けない状態。配偶者からは呆れられいや参った。ひたすら冷却中。
一年ぶりに青森に来た。理科大のこうよう会(父母組織)と理窓会(OB組織)との会合に出席するためである。去年来た時に青森もなんだか淋しくなったなと思ったが改めてそう思う。記念に停泊している青函連絡船八甲田丸の傍に物産館+カフェの建物が楽しげにデザインされているが人はあまりいない。町を歩いても人が少ないのは相変わらずである。アーケードを歩いて会場に向かう途中、アーケード外側にもう一つ道があるのに気が付いた。なんと自転車専用レーンが作られていた。まるでコペンハーゲンのようである。青森って自転車ユーザーが多いのだろうか?