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by 卓 坂牛
昼間大学に行く途中金町のマックでビッグマックセットを食べながら千葉雅也の新刊をペラペラめくる。千葉雅也『べつのしかたでーツィッター哲学』河出書房2014。本と言っても千葉雅也がツイッターでつぶやいたことが彼なりのアレンジメントで並べ替えられているものである。曰くツィッターは思考の断片であり、それは常に固定化されない輪郭線なのだという。その意味でこのつぶやきは分かりやすい。
僕は自分の仕事に対して「とりあえずこの立場を採っているけれど実は「~なんちゃって」かもしれない」という自己懐疑と、「これでいいのだ」という自己信頼を持つという二重性のバランスがうまい人が好きだ。このバランスが「うまい」というのはどういうことなのか、これは巨大な哲学的謎だと思う。
このつぶやきに90%賛成。このバランス悪い人世の中には結構たくさんいてそういう人が傍にいないように注意している。
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by 卓 坂牛
ハル・フォスターの新訳2冊斜め読み。一冊は中野勉訳『第一ポップ時代』河出書房(2011)2014。もう一冊は瀧本雅志訳『アート建築複合態』鹿島出版会(2011)2014。
原書が同じ年に書かれているので内容の関係性もあるのだろうと読んでみると確かにある。著者の中ではポップアートあるいはポピュリズムは建築にかなりの影響を与え(ヴェンチューリなどのポストモダニスト)その(消費主義、増強された視覚、システマティックな過剰)延長線上にコールハース、ゲーリー、ザッハを見ているのである。一方ミニマリズムの延長上にヘルツォーグたちを見て、コンセプチャルアートなどの延長上にディラー・スコフィディオを置いている。多くのとは言えないけれど、世界のスター建築家のかなりの部分がアートと渾然一体の建築を作っているという分析をしている。
一方『第一ポップ時代』においてはポップアーティスト(ハミルトン、リキテンシュタイン、ウォーホール、リヒター、ルシェー)たちは世の中のゴミ(彼らの素材)を全面肯定もしなければ否定もしないアイロニカルな肯定をしていたのだと言う。
資本主義が建築やアートの境界を投資の対象としてメルトダウンさせている現状において、お互いが投資価値を求めて過剰なヴィジュアリティを奪い合うむごたらしい状況が露呈されている。たまさかフォスターの二冊の本を一度に読んでみて、せめて第一ポップ時代のアイロニカルな視線が現代のポップアーキテクトの中にあればと願うのは季節外れのたわごとなのだろうか?システマティックな過剰はどこまで続くのだろうか?
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by 卓 坂牛
●ミラーレスのサンタカタリーナ市場
再来週バルセロナでエンリクに会い日本で行うWSの話をするにあたり、バルセロナの都市計画とまちづくりを少々勉強してみた。教科書は阿部大輔『バルセロナ旧市街の再生戦略』学芸出版2009。19世紀末に旧市街からはみ出るバルセロナの町が113メートルグリッドで拡張されたのはよく知られたセルダの都市計画である。20世紀後半にそれを受け継ぎながら独裁政権(1940~75)後に大きなマスタープランを作るのではなく「ミクロの都市計画」を行ったのがオリオル・ボイガスである(年初のワークショップに来る予定だったが体調不良で来られなかった)。「ミクロの都市計画」とは100近い拠点プロジェクトを地域の個性を失わないようにサイト・スペシフィックに行う計画である。その中にスラム化した旧市街(面積は千代田区の半分人口は千代田区の2倍)の再生計画も含まれていた。その後その計画はより具体化し、密集し、老朽化し、麻薬、売春の温床と化した旧市街地が再生した。そのプロジェクトはスペイン語ではesponjamientoと呼ばれた。そのまま訳すと「スポンジ化」となるが一般的に「多孔質化」と呼ばれている。おおよその意味は部分的に建物を排除したり、リノベをして公共施設や公共空間を挿入していくというものである。つまり既存建築に公共の孔を多く穿っていくということである。ミラーレスのサンタカテリーナ市場やマイヤーのバルセロナ現代美術館やアルベルト・ビアプラナの現代文化センターなどはそうやって埋め込まれた多孔質化の産物である。この話を聞くと今年の年初に行ったブエノスアイレスのヴィシャ(スラム)の再生ワークショップを思い出す。ブエノスアイレスの建築家たちはおそらくボイガスの手法に多くのことを学んでいたのであろう。ワークショップ中はスラムという特別な場所の特別な話だと思っていたが、バルセロナ旧市街のような今では観光中心となっている場所がそうした手法で再生したのだと聞くと、日本でもできるという気になる。荒木町とか神楽坂とか日本の路地空間は多孔質化で再生しなければいけない場所なのだということを再確認する。大きな用途地域の無思慮な色塗りだけで都市計画が終わるわけではない。「ミクロの都市計画」が必要なのである。
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by 卓 坂牛
コンペのコンセプトを練るのにムーミンの本を読んでいたらムーミンパパは放浪癖があると知る。その上、なんだかとても暗い話が多くて面白い。家族なんて明るいことばかりで埋め尽くされているわけもなく、お父さんはいつも優しくて家族思いでいい人だとは限らないというリアリズムなのである。ヨーロッパの童話は残酷だったり、怖かったり、日本の童話とは大違い。小さい時から大人の世界をはっきり見せる文化なのである。
研究室の学生も一緒にムーミンを読んでいるのだが、彼女が最新号のユリイカはムーミン特集だと持ってきた。ムーミン哲学?ムーミン文化?ムーミンから学ぶこと?何?
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by 卓 坂牛
鹿島出版会で午後ミーティング。少しずつ本作りのポイントに向かっている。終わって夜はETHのデザインの教授と構造デザインの教授と夕食。彼らは日本の折り紙学会にやってきている。初めてお会いするので当然スイス人かと思っていたがデザインの教授ホアンはバルセロナの人。構造家のピエルルイジはイタリア人である。ETHにはこんなラテン系の先生が沢山いるのかと聞いたらそんないるわけでもないらしい。いろいろ聞いていると北ヨーロッパと南ヨーロッパの差を強調するのでなんでスイスに来たのかと聞くと、いつかは南に戻りたく、今は南に仕事が無いので北に居るという。古来南北ヨーロッパの溝は埋まらないのだということがよくわかる。彼ら曰く南は不完全、カオス、スモールスケールを好み、言えば南はデュオニソスであり北はアポロなのだと言ってはばからない。なるほど!!
最近の日本の建築をどう思うと聞くと先日読んだ飯島洋一と同じようなことを言っていた。ブランド建築家が世界資本の思うがままに建築を作らせられている。これは世界の問題であり世界中にブランドスタンプを押して回るような建築はさっさとやめた方がいいと言っていた。同感である。
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by 卓 坂牛
午前中クライアントと打ち合わせ。残り数週間で実施設計アップ。午後は出張の細かな計画を練る。だいぶ先方との交信もしてスケジュールがフィックスしてきた。余った時間の使い方を考える。デンマークではオールボーのウッツォンセンターのオーディトリアムでレクチャーをすることとなった。楽しみ。
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by 卓 坂牛
飯島洋一の「「らしい」建築批判」1,2,3,4、をまとめて読んだ。モダニストが相手にしていた社会は革命が連続的に勃発していた社会であり、それと連動しながら建築家は社会を変革したいと考えていた。一方ネオモダニストの相手にしている社会というのは新自由主義のもとに投資された資本の言うなりの社会でありそこにおける建築家はブランド化され資本のなすがままに動く建築家でしかないと批判する。デコン建築家の多くがビルバオ以降、まさにそうした論理で建築を作っているということについては同感である。
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by 卓 坂牛
LUMIXのミラーレスを買った。今まで使っていたOLYMPUSが重くてかさばるのでミラーレスの一番小さいものが欲しくてこれにした。加えて誰かのLUIMXがとてもよく撮れるのに驚いたというのも理由の一つ。しかし昨今のデジカメは一段と多機能になっていてこれを覚えるのに一苦労である。毎日練習しているのだが覚えきれません。もっと機能減らしてくれた方がいいなと思うの。あるいは使うべき機能と特別な機能を区別しておいてくれるとありがたいのだが。白い皮ボディは汚れるだろうことは分かっているのだが、それでもやっぱり白がいい。」
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by 卓 坂牛
昼からコンペの打ち合わせ。だいぶデヴェロップされてきた。しかし勝負はここから。コンペに勝つときは3分の1は最初の食いつき、3分の1はそのデヴェロップ、3分の1はプレゼンである。今僕らはいい食いつきをしてそのデヴェロップの途中。ということは半分終わったということである。夕方第二部の先生たちとの懇親会。金町キャンパスのカフェにて。広い空間に美味しい料理。
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by 卓 坂牛
午後「戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家 」展を見に埼玉県立美術館へ。展覧会は16の戦後住宅の原図、青図に加え1/50,1/30の模型が展示されている。坂牛研でも白の家の模型を作成した。僕はこの16のうち7つの家に入ったことがある。それぞれの良さを体感したことがある。それらは本当に小さな家だった。日本の家は小さい、、、、
その小さの極地が中銀カプセルタワーである(なぜ住宅展でこれが展示されているのか謎だが)。その実物が庭においてある。この小ささはとても気持ちよさそうではある。