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May 2016

コンテンポラリーズ展覧会

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by 卓 坂牛

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柳澤潤さん率いるコンテンポラリーズの展覧会のオープニングで黄金町ガード下を初めて訪れた。このガード下はワークステーションや宮晶子さんも手がけており面白い場所になっている。
柳澤さんはある頃から人々が自由に出入りできるコモンズとしての建築を目指し始めた。塩尻のエンパークはそのいい例である。その後も役所がらみの公共空間を多く作っているようである。そのチャレンジの成果を見るにはもう少し時間が必要だが彼の人間性と底力は必ずやいい結果を残すものと期待している。

借りてます

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by 卓 坂牛

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研究室用の大きなマグカップが欲しいと思っていたところ、研究室の流し台に大きなマグカップを発見。さて誰かのだろうと思ったのだが、ドイツに留学予定中の大橋のものであると誰かが教えてくれた。というわけでお借りしております。ありがとうございます。

アメリカンモダニズムの源流

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by 卓 坂牛

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⚫Armory show catalogue 1913
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⚫Cubism and abstract art catalogue 1936
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⚫Fantastic art, Dada Surrealism 1936
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⚫New American Painting1958
戦後アメリカモダニズムアートはすぐに抽象表現主義と言いたくなるのだが、そこに至る経緯をきちんと押さえきれておらず、いつかきちんと勉強せねばと思っていたのだが、いまポップアートを書くにあたり、その前段階をきちんとおさらいすることにした。そのためにまずMOMA初代館長のアルフレッドバーについて読み彼がつくったMOMAのカタログ3つ
⚫Cubism and abstract art catalogue 1936
⚫Fantastic art, Dada Surrealism 1936
⚫New American Painting1958
とMOMA以前のアメリカ美術史最大の事件と言われるアーモリーショウのカタログの4冊をアマゾンusa で購入した。
モダニズム絵画はアブストラクトとシュールレアリズムの二つの流れがぶつかり、それを寛容に受け入れたのがペギー・グッゲンハイムであり、ちゅ小表現主義は実は抽象のながれではなく、シューレレアリズムの自動筆記からきているというのがバーの読みなのであった。

アルフレッド・H・バー

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by 卓 坂牛

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その昔谷川渥氏は講演でモダニズムとはイズムの時代だったが60年代ポストモダ二ズムへと移行し始めることアートの乱立する時代へと変化したと話、弱冠27歳にしてMOMAの館長に就任したアルフレッド・H・バーJr(Alfred H. Barr Jr.1902 ~1981)の作った20世紀美術の系統図を使用していた。それはバーが34歳の時に作った図である。それ以来この図の作り方が気に入っていたのだが、今日大坪健二『アルフレッド・バーと入ヨーク近代美術館の誕生-アメリカ二十世紀美術の一研究』三元社2012を読んでいたら23歳の時彼は似たような図を書いているのに驚いた。それはプリンストンにてチャールズ・ルーファス・モーリィーのもとで美術史を学んだ後にハーバードで描いたものでモーリィーの教えのたたものだと解説されていた。
バーはプリンストンとハーバードのカラーの異なる二つの美術史の影響を強く受けたと言われているが、この系統図にはプリンストンの名残があるということのようである。

廃墟広場

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by 卓 坂牛

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富士吉田新世界の公衆トイレ脇の火事現場を広場にする計画共同研究の研究室打ち合わせ。公衆トイレはすでにできておりミラーばり。朽ちた木造架構が反射して増幅する。そこに隣の飲み屋からの客が来て酒を酌み交わす場所が生まれる。予定。

ワインのように飲み干す

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by 卓 坂牛

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誰かの携帯がワンワン唸ったっと思ったら突如床が揺れ始めた。僕の席の後ろの本棚も目に見える振れ幅でぐらっときた。揺れたのはその10秒だけくらいだったが震度4だった。
大学出て金町駅まで来たものの電車が30分来ず。その間に御田先生がやって来た。先生が来たら電車も来た。
長旅に疲れたの家近くのコンビニでマスカット味のアイスキャンディを買ってかえりワイングラスに出してワインのつもりで飲み干した。スカッとした。

東京右半分で大友さんを見る

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by 卓 坂牛

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大友良英のレコードプレーヤーオブジェを都現美で見た。その昔、リーテム工場のヴィデオを作ってもらった時に大友さんに音楽を作曲してもらった。吉祥寺のスタジオで大友さんをはじめSachikoMなどそうそうたるメンバーで大友さん作曲の音を録音した。その時に雑談でクリスチャンマークレーの話になった。大友さん曰くクリスチャンも昔はタダのミュージシャンだったのが最近では(というのはすでに5年くらい前の話だが)アーティストだよ。アーティストの方が全然儲かるみたいと言っていたのが、今や大友さんもメジャーアーティストではないか!!凄いなあ!!思っていることを実現してしまう人。
都現美の周りはどんどん変わっている。都築響一が『東京右半分』を書いて東京は東から変わると言い、今面白いのは足立区、葛飾区、江東区、荒川区、、、、なんて予言したのは2012年。的中?

コパンチンスカヤ型建築

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by 卓 坂牛

小学校のころ日比谷公会堂でメニューインのライブを聴いた。演目はベートーベンのヴァイオリン協奏曲。それ以来異なる演奏者でいろいろ聞いてきたが、昨晩you tubeでコパチンスカヤのベートベンを聴いて感動した。
彼女の音はよく聞けば
① 気を入れてきちんとビブラートかける音
② 気をぬいてビブラートもかけず弓の先っぽの方で流す音
③ 僕には聞こえない音(?)
である。つまり俗な言い方をすると彼女の演奏は何を弾いているかより何を弾いていないかを聴くことにその受容の妙がある。
そしてこれらの音が並ぶとメロディーは必然的にとても不連続的に、しかしドラマティックな展開となる。おそらく僕が都市や建築に期待する不連続性はコパンチンスカヤの視覚版である。
一流の音楽家の多くは①のみで音楽を構成し、一流の建築家視覚版①をおこなう。でもぼくにはどうもそういう建築が息苦しい。②を交えた建築にいつも憧れどこで②をやるかあるいは③を組み込むかを考えてしまう。

中欧という場所

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by 卓 坂牛

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増田英樹、古田善文『図説 オーストリアの歴史』河出書房新社2011、加藤雅彦『図説 ハプスブルク帝国』河出書房新社2015、菊池良生『図説 神聖ローマ帝国』河出書房新社2009、という3つの歴史参考書を読んでやっとこの辺りのヨーロッパの歴史が飲み込めてきた。一番腑に落ちたのは一体なぜヨーロッパは一つにまとまろうとしたのだろうか?そしてそれが可能だったのだろうかということに対する回答としてそれはもとももと中欧(ミッテル・オイローパ)というまとまりがあったからであり、それはもとを多々出せば神聖ローマ帝国であり、それを形成したハプスブルクというファミリーだったという説明である。それにしてもローマという概念の継続性には恐れ入るが日本という概念の継続性は負けず劣らずシブトイ。やはり島国だからなのだろうか?

今年は美術館の課題をやれる

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by 卓 坂牛

IMG_0115.jpg前から美術館の課題をやりたいと思っていた。それもthe美術館といういわゆる美術館である。でも今までやらなかったのは美術館を設計したことのある非常勤の方がまとまっていなかったからである。今年はできるなと思いやることにした。
僕が学生の時、美術館の課題は大高正人さんが非常勤で来て教えてくれた。ちなみに小学校は香山さん、ショップは倉俣さん、劇場は磯崎さん、ホテルは伊東さんというふうに教える人はその課題の経験者だった。ということを学生たちはきちんとわかっていたし、だからこそ彼らの言葉に重みがあった。なので今でも非常勤の方をお願いする時は課題を考えながらお願いしている。
学生は分かっているし今やネットですぐさま調べがつく。この人は一体この設計の経験があるのかないのか。僕もそんなにレパートリーがあるわけではないからやったことないものは正直に学生に申告している。
手術の経験のない医者に(そんな医者いるかどうか知らないけれど)手術の授業を受けてもリアリティないだろうし。