帝国
帝国主義が帝国を生み出すのは資本主義の原理である。しかし資本主義でもない国々が古来帝国となるのは人間の本能としての支配欲による。ということは人間は本来的に戦争をする運命にあるということである。しかしそれを抑制する倫理を持っているのが人間であるというのもまた事実である。
支配欲の帝国があり、帝国主義の帝国があり、昨今は国家を単位としない「帝国」があると言われている。これは経済的な帝国であり戦いをともなわないはずだが、未だに戦争が後をたたないのはなぜだろうか?それは帝国の原理ではない別の戦いの理屈があるということだろうか?
僕の興味は実は戦いの原理ではなく、宗主国は属国でどういう建築を作るかというところにある。属国の文化をそのままにするのか破壊するのかということである。ここには原理原則があり破壊し属国を宗主国のコピーとする方がが帝国は長持ちするのか?それとも放っておいて属国の地力の生命力を生かす方が長持ちするのか?その辺りが知りたいところである。
プレディプロマ
4年生の前期プレディプロマは最初の課題はプログラムを与えて敷地を探させ、後半課題は敷地を与えてプログラムを考えさせるトレーニングを試みた。後半課題の敷地は金町イトーヨーカドーの裏側の1.5haである。写真のS君の案は現イトーヨーカドーを駐車駐輪スペースとして前面道路のカオスのような混雑を緩和して、この敷地に商業施設と電車の見える広場を作ろうというもの。
考え方がまっとうで、ボリューム配置が十分なスタディーのもとに行われ、プラザの作り方に電車方向への広がりとうい確たるコンセプトがあり、ヴォリュームを建築へ作り上げるディテールのスタディがきちんとなされている。ステップバイステップで進化した優等生的な提案である。
ル・コルビュジエ
「坂牛。建築家として、ル・コルビュジエの建築の作品が世界遺産になった事に関して、FACEBOOKでコメントしてくれ。よかった、万歳報道ではわからない、プロのコメントが聞きたい」
友達からこんなメールをもらった。しかし僕も数十年前の卒業論文がル・コルビュジエについてだったくらいなので、ル・コルビュジエを客観的に見られる立場にない。また世界遺産の審査基準がどういうもの厳密にかわからないのでそれが妥当かどうかという質問にも答えられない。異国の世界遺産を見て、「嘘これが?」と思うものはよくある。でも僕が知らない目に見えない理由があるのだろうとあえて追求もしていない。またこの手のものに政治性が絡まないわけはない。
というわけでル・コルビュジエの複数の建物の世界遺産認定の妥当性について私にはそれを云々できない。
世界遺産ということを脇において、例えば、日本の中で20世紀に作られた建築物の中で国立西洋美術館の価値を日本の近代建築が成立していく上での一里塚として見るならば、その歴史的意義は確実に日本の中で10本の指に入るものと僕は思う。
もちろんル・コルビュジは世界の近代建築を完成に導いた建築家の中で、その言説と作品の意義から鑑み、その存在意義は5本の指に間違いなく数えられる。残り4人を挙げろと言われれば、ミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライト、アドルフ・ロース、アルバ・アアルトをあげることになろう。
白好き
午後コンクリートカルチャーの翻訳チーム辺見、呉、天内、と僕で集まり次の勉強本の相談をする。『アチューンメント』は建築の雰囲気を現象学的に分析する本。『建築の理解』は1年生の教科書に最適。ウィグリーの『ラジオ』はバックミンスターフラーのより詳細なモノグラフ。コロミーナの『戦時のドメスティシティ』は戦争が家庭性をより強化したという話。『小さいスケールと大きな変化』はmomaのカタログであり今のソーシャル建築のバイブル。そしてバンハムの『ロサンゼルス』はポップカルチャーを最初に評価したバンハムの真骨頂。という本を前にしてさて次はという議論の中で浮上したのは研究室においてきたウィグリーのWhite Walls, Designer Dresses: The Fashioning of Modern Architecture (MIT Press)
https://www.amazon.co.jp/White-Walls-Designer-Dresses-Architecture/dp/0262731452/ref=sr_1_7?ie=UTF8&qid=1468749140&sr=8-7&keywords=mark+wigley
というモダニズムの白を分析した本である。
僕が中国で「内の家」のスライドを見せたときにヴァージニア大学のリーシーチャオが黒いリビングルームが興味深い今時何でも白くするのにその逆だからだという。そしてその白についてウィグリーが書いているよと教えてくれのがこの本である。モダニズムの白はそもそも様式を脱ぎ捨てた色として建築に使われ始めたがその後それは着る色として今に至っているという。形式性重視の挙句に無視された色としての白ではなく、質料性重視の選ばれた色としての白が存在したということである。確かに無視されたから白が残るというのでは白好きの理由は説明できない。
ちゃぶ台引っくり返せ
ジャック・アタリの派手な表紙の本タイトルは『ちゃぶ台返しのススメ−運命を変えるための5つのステップ』橘明美訳飛鳥新社2016(2012)。経済が停滞して政治が腐敗して市民は受け身で文句ばかり言う。こういうときこそ自ら問題にたち向かう人間になるチャンスであるとアタリは言う。そんな人生を自分らしく生きるための5つのステップとは。
① 自分を疎外する要因を明らかにする
(僕の場合、建築の質の劣化、教育の反応の劣化、自らの能力の後退)
② 生きる上で大事にしたい5つのことを書き出してみる
(僕の場合人生のノマド化、仕事の脱労働化、教育の脱典型化、集団への非帰属化)
③ 人を頼らない
④ 自らの唯一性を自覚する
⑤ 何をするかを決定する
さて何をするか?
近代性と家庭性
1月に中国で行った二つのレクチャーを原稿にして送る締め切りが7月末。日本における建築の男女性の系譜をパワポを見ながら書いているとどうもレクチャーした時の内容が心もとななくなり再度そのレクチャーで大いに参考にしたヒルデ・ハイネン(Hilde Heynen)の近代性と家庭性—緊張と矛盾(Mmodernity and domesticity Tensions and contradicitions)を読み返した。この論考の趣旨は次のようなものである。
19世紀イギリスビクトリア朝時代のイギリスをはじめヨーロッパの家においては、それ以前まで家族以外にも多くの血の繋がらない仕事上の弟子やお手伝いさんなどが住んでいたのとは異なり、家族が水入らずで住むようになった。また産業革命の進展は家庭と職場を分離し、父は職場で稼ぎ、母は家庭で家族を管理するという役割分担ができた。よって家庭というものが母の愛情で包まれたもの(domesticity)となった。これは女性的なものとされる。
ところが19世紀の終わりころ、そういう家庭性の中で育った子供が職場世界で通用するか父は不安になり、加えてモダニズムという新たな社会の潮流が起こり、過去との断絶のもとに新しい世界を求める風潮の中でこの家庭性が崩壊し加えて建築デザイン的にも愛に包まれた家庭的な空気を排除する傾向が生まれた。これは一般には男性的なものとされる。
再度、しかし、19世紀の家庭性=女性性というのは19世紀の女性の役割というジェンダーであり、20性の女性性は変化してかつての男性性と=になった。ここに置いて職場=男性、家庭=女性という等式は意味を持たず、むしろモダニティの主題としての女性というものが登場してきた。そして家庭性という概念が希薄化してきた。
都市装飾としてのマネキン
20世紀初頭のアールヌーヴォーがすたれ、その次を担うアートを模索するために生まれた展覧会の一つがサロン・ドートンヌ(1903初回開催)。それはキュビズム、フォービズムの誕生の場として有名だが、1922年には「都市芸術部門」が創設された。オースマンのパリがさらに近代化されるにあたり無味乾燥なオースマンのパリを装飾された華やかなものにするのが目的だった。そこで重視されたのが都市装飾としてのブティックでありショーウィンドーである。そしてそのショーウィンドーを飾るオブジェとして注目を集めたのは、服はもとより、マネキンだそうである。マネキンは一時蝋人形のように本物に肉薄することをよしとしたが、それでは主役である服が映えないのである時から徹底した抽象化に進んだそうである。(徳井淑子、他『フランスモード史への招待』悠書館2016)