チョイスは二つしかない
先ほどまでウィーン工科大学の留学生アンナの送別会があり渋谷で飲んでいた。彼女はウィーンで修士を卒業したらモルフォシスニューヨークで働く予定でいる。その後どうするのと聞くと3年そこにいるという。その後はと聞くとちょっと曖昧である。
彼女が日本に来た時に彼女の面倒を見ていたのはカレンという学生で彼は4月に坂牛研を卒業しサイアークに留学する予定でいる。彼と昼間今後の進路の相談をしていた。サイアークに行った後どうするのと聞くと彼の答えも曖昧である。
二人とも優秀な学生である。彼らが今後どういう立場で何をするか分からないけれど確実に世界の建築界で活躍できる能力を持っていると思う。でもそれを今後どうやって磨くのかは彼らの気持ち次第である。建築家になるのであれば勇気と決断力が必要である。そこには二つしかチョイスはない。やるかやらないかだけである。なろうと思わなければなれないし、なろうと思えばそうなるだろう。ただそれだけのことだと思う。
民宿みたいな
屋根の形が色々なので2階の個室は室ごとに形も大きさも違う。違う場所の集合みたいな建築にしよう。たとえは悪いが、増築を重ねた民宿みたいな建築である。
The current project has various kinds of roofs under which each room has different shape and size. We decided to aim at making the architecture which is the assembly of different places like Japanese ryokan or minshuku successively added .
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夏ゼミ
アラーキーはしご
配偶者は朝早く弓に出かけた。50射するらしい。弓道というのは的を射ればいいというものではなく入場から退場迄の動きが型通り出なくてはいけないそうである。およそ道と名のつくものは規範を真似、自己の内面に浸透させる修練である。
一方西洋伝来のアートは外部を自らの規範で読み変える技である。荒木の展覧会をハシゴ(写真美術館、オペラシティーのギャラリー)しながら荒木の外界を読み換える規範が見えて来た気がした。それは被写体を選択するが、選択したあとは見えるがままに切り取り 、不要な脚色や演出は施さないということである。
しかし一方で荒木に規範なんてあるんだろうか?という疑問も湧く。彼は目に入るものは可能な限り食い散らす恐竜のようでもある。かれの出版数は500を超えているのである。
さて建築に話しを引き寄せてみよう。建築においては多くの要望、法律、予算、工期などの条件を咀嚼して設計者それぞれが、彼/彼女の規範によってそれらを読み換える作業を設計と呼ぶのである。その意味でわれわれのやっていることは荒木のやっていることと原理的には同じである。少なくとも書道や弓道よりは類似した行為である。
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