広報誌の取材
WS6日目。明日のプレゼンを前にプレゼンフォームを作り学生に徹底する。各チーム(5チーム)、コンセプト、フォトモンタージュ、スケッチ、プログラム、プラン、セクションスケッチの順にパワポに並べ3分間で説明してもらうことにする。明日のプレゼンは3時間で10グループ50チームくらいが発表することになる。グループごとに敷地が異なるが全てスラムである。どういうテーマが話されるのか楽しみである。その一番最初に僕が昨年の12月の理科大でロベルトと行ったワークショップを紹介するスピーチをすることになった。これは少々重要である。
午後大学の広報誌の編集者がきてインタビューを受ける。今回はインタビューが多い。
- アルゼンチンの建築に応用できる日本建築の特徴は何か
- アルゼンチンから学ぶことはあるか、なぜアルゼンチンに来るようになったのか
- あなたは身体と建築の関係が重要だと言うが、なぜか
- あなたが建築家としてチャレンジすることは何か
- 今回のワークショプでトライしていることは何か
- 将来の夢は何か
ここにも先日撮った写真が使われる。どれが使われるのか?
廃棄物利用のエスキス模型
ワークショップ5日目。全員で敷地模型を作る。2ミリのカードボードは切るのが大変である。4回カッターを入れてやっと切れる。10人以上かけて午前中いっぱいかかる。昼は近所のゴルフクラブのレストランでゆっくり昼食をとる。3時から各チームエンジンがかかりディスカッション、そして模型を作る。ペルーともチリとも異なりアルゼンチンでは英語の通じる学生も先生も限られるので言葉の説明をやめてエスキスの仕方を自ら作ってみせる。ルイスが廃棄物のパネルをゴミ箱から拾ってくる。表面のシートを剥がしたスチボをリユース。
タコ壷化を防ぐには
日本の理工系教育のタコ壷化を是正しようという文科省の方針は正しいと思う。特に建築のような分野ではそうあるべきである。ところがどうもそれが大学の中では変なことになってうまくオーペレートされていない。
今回のサンマルチンのワークショプでは建築のワークショップに政治家、気象学者、生物学者、NGO、行政の職員、都市計画学者、地理学者、経済学者などなど全部で12人が招聘されレクチャーが行われている。僕ら日本人によっては話している内容は30年前の日本で叫ばれているようなことだなと思うようなところもあるのだが、ひとつの場所を巡る知の枠組みを知ることの価値は計り知れない。
このワークショップは学部内に5人で構成される専門家のコミッティーが作られ1年かけてテーマ、レクチャラーの人選、海外からの招聘などを予算とともに考えている。建築の実践と、建築外の思考をこのように重ね合わせることで専門学科の閉塞を防ぎ開いていけるのだと思う。やるならこういうことをやらないといけないなと大いに勉強している。
オルタナティブを作ろう
ワークショップ4日め。今日も午前中は4つのレクチャー。水道、緑、交通、政策など。午後やっと制作が始まった。スケッチを描き、夜ピンナップしてクリティーク。スラムに作る。800人の集住と公園。敷地は2ヘクタール。
講義が続くワークショップ
今回のワークショップはサンマルチン大学がすでに四年間続けているラテンアメリカの国際ワークショップであり、それに今年から読んでいただき参加している。参加国はラテンアメリカ4カ国(アルゼンチン、ボリビア、コロンビア、グアテマラ)と日本である。しかもアルゼンチンからは4つの国立大学(ブエノスアイレス大学、サンマルチン大学、ラプラタ大学、ロサリオ大学)が参加している。このやり方がちょっと普通のワークショプとは異なり、サンマルチンという大学のある場所の地域の特性を政治、経済、科学、都市計画などの見地から研究するためにその方面のプロフェッショナルが来て講義するのである。土曜日に3つ、月曜日に3つ(これらに僕は参加できなかったが)本日は午前中に3つ、午後に2つあった。午前中の3つはまず、人権的見地からのレクチャーで野党議員。彼のレクチャーは政治演説のごとき迫力だった。二つ目はアーバニストがサンマルチンとサンミゲルを分かつレコンキスタ河の流域の話をした。三つはサンマルチンの市の職員の話。午後は最初に気象学者がサンマルチンの気候を、次に経済学者が不足する住宅をどういう構造でどのくらいの速さで作るのが経済的かについて話をした。この調子で明日も明後日も講義は続き、講義が終わるとやっと作業ができるのである。今日は講義が夕方5時に終わりそこからはじめてプログラムを作る議論を担当教授で議論して、そしてチーム分けして学生たちに議論をさせるところまで進んだ。チームは日本学生が1チーム一人ずつ、グアテマラ学生とアルゼンチン学生が1チーム一人か二人で分配された。議論は極力スペイン語にならないようにお願いするのだが、やはり目を離すとすぐスペイン語になる。アルゼンチン人は英語が苦手である。
川端や村上やボルヘスと貧困
ワークショップの敷地であるサンマルチンのスラムにあるゴミの山に行き、そこのスラムに住む有志たちが作った改革拠点を見た。彼らの中の数名はスラムに住みながらサンマルチン大学で社会学などを学ぶ貧困層のエリートである。コンクリート造りの今にも壊れそうな建物の中でこの場所の説明を聞く。2haくらいあるその場所は、改革拠点と道路を挟んで逆側にあり山のように盛り上がっている。20年前まで建築産業廃棄物の廃棄場所だったという。なんとも前回見たvilla 20とは異なる水平的に広がる荒涼たる場所である。
さて何ができるのだろうかと疲れた頭を回転させながら大学に戻ると、ネットメディアの取材を受けることになる。「あなたは川端康成、村上春樹、ボルヘスを引用しながら建築を説明しているが、こうした小説家と貧困は果たしてどう関係するのか興味がある」という。こんな質問を受けたのは初めてで驚いた。そもそもそうした小説による自作の説明は文字にしたことはない。今度の「軽井沢トンネル」で初めて『住宅特集』では村上を引用しているくらいでそれも未だ出版されていない。しかしここ数年レクチャーではいろいろなところでそう説明している。昨今レクチャーはビデオを化されてネットに載っているのでそんなメディアを通して知っているのかもしれない。情報は世界を駆け巡っている。
僕が興味あるのは彼ら自身ではなく彼らの小説に登場する舞台セットに対してである。それらは川端の「トンネル」、村上の「井戸」、ボルヘスの「アレフ」である。これらは皆現在の場所から別の世界に行く、あるいは覗く、小道具なのである。僕の建築はこうした道具さながら常に違う世界へ行く、あるいは覗く道具であってほしいと思っているのである。つまり貧困の場所に作る何かとは別の世界へ人々を誘う何かだろうと思っている。そんな建築の彼岸とここでも格闘できないかと思っているというのが質問への答えである。
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