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Sep 2017

いるじゃないか理科大にも

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by 卓 坂牛

本日月曜日は12:50から講義してから博士、卒論、修論ゼミ。終わると9:00 。8時間連続ゼミ。長時間はまあいいのだが前進の見られない、目的の曖昧な、発見の無い、発表は辛い。もっと勉強に時間をかけて欲しい。バイトのしすぎだろうか?

帰りの電車でたまたま隣に座った3人組がどうも理科大生で4年生みたい。「院に行ったらバイトなんてできないよ」と言っている。勉強しなきければならないからと言うのがその理由のようである。驚いた。いるじゃないかこう言う良識人が理科大にも。

バイトするなとは言わないけれど、寸暇を惜しんで勉強して欲しい。大学なんだから。いや、向上したいなら。

Garellia 645

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by 卓 坂牛

朝歩きしてたら六本木の端っこの住宅街に古びた日本家屋を改装したような器屋。Galleria 645と言う名前。ネットで見るとなかなか綺麗な現代作家の作品がたくさんあるみたい。昼間に来てみよう。

再開発の時代から再利用の時代へ

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by 卓 坂牛

加藤耕一『時が作る建築ーリノベーションの西洋建築史』東京大学出版会2017がとてもいい本だと勧めてくれたのは飯尾さん。だいぶ前に買って積んでおいたのだが昨日から一気に読んだ。最近読んだ建築の本の中では最優秀賞である。ぜひ学生の皆さんには読んでいただければと思う。その最も面白いところはその歴史をみる枠組みである。西洋建築史を「再利用」「再開発」「修繕・保存」という3つの視点で見直している。そもそも西洋建築は古来「再利用」を前提として人口の増減に対応していた。ところがルネッサンスの時代にその一つ前の時代である中世を野蛮なものとして壊して作る「再開発」の考え方が幅を効かせるようになる。しかし19世紀に中世が見直され始めると中世を野蛮として古典デザインで蓋をする方法こそが野蛮とされ、古典で蓋をされた中世を修復、あるいは保存する運動が生まれるわけである。加藤の主張は建築史を様式という「形」で分類するのではなく形を生む既存へのスタンスをもとに時代をみるべきだというものである。もちろんモダニズムはいうまでもなく「再開発」の時代であるが21世紀に入りドラスティックにスタンスは変化している。いうまでもなく「再利用」の時代に突入しているわけである。そしてそれは何も経済の停滞が産み出した例外的な特殊なことではなくで古来建築は普通にそうだったということなのである。

銀座で服を見る

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by 卓 坂牛

コズミックワンダーの紙の服展覧会@資生堂。良い紙は水が命なようで、最近のコズミックワンダーの自然への姿勢がよく出ている。先日有機綿の夜着を購入したがこれも自然へのこだわりである。隣のドーバーストーリートに行ってみる。日本のドーバーストリートには初めて行ったがギャルソンドゥーのジャケットがウールにプリントて斬新。どのブランドもかなりとんがったデザインがセレクトされているのでドーバーストリートは見ているだけで楽しい。売っているおじさんも白髪でちょっと長いジャケットにロールアップしたパンツ。僕より年配に見えるがかっこいいな。

表裏の坂本建築

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by 卓 坂牛

キャットストリートからちょっと入ったところに坂本先生設計の素晴らしいショップがある。久しぶりに行ってみたが、いいね。器を見ていたら背後に巨大な影。ブラジル大使のラーゴさん。この店は素晴らしいと絶賛。

土日の予定は

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by 卓 坂牛

金曜日の夜は2回に1回書道の稽古日。10時半頃までやっている。居間は生徒さんで足の踏み場もないので終わるまで自分の部屋でお勉強。終わると居間でビールも飲める。そこでの夫婦の合言葉は「土日の予定は?」である。配偶者はだいたい両日とも自らの書の稽古や添削会で埋まっている(最近いい賞をとったので真面目に書に精進している、偉い)。僕の方は両日強制的スケジュールで埋まっていることはあまりない。二人の時間が会うと「ちょっと遊ぼう」という次なる合言葉が口をつく。遊ぶと言ってもカフェでブランチとか展覧会見に行く程度の話である。今日は僕の予定がキャンセルになったので(ラッキー!)表参道の雑貨屋に行こうということになる。その後時間があったらヒルサイドに行こうか(宮さん来るっていっていたし)?銀座に行こうか?(資生堂で見たいものやっている)。でも昨日読み始めた加藤耕一さんの本めちゃ面白いのでそのままカフェで読んじゃおうか?

Yogaしたり本読んだり

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by 卓 坂牛

椅子に座っているほど腰に悪いことはない、とアユールチェアのお店の人に言われ、ちょっと座っているのに疲れると、立ち上がったり、歩いたり、寝っ転がったりする。体勢が変わると風景も変わる。それが楽しい。

倉俣史朗

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by 卓 坂牛

未だに日本のインテリア、家具デザイナーで倉俣史朗を超えるデザイナーは生まれていないと思う。大学時代に彼が非常勤講師で来てくれたのは奇跡的な幸運だったと思う。鈴木紀慶 編著『倉俣史朗着想のかたち-4人のクリエイターが語る』2011で伊東豊雄は倉俣は何をデザインするかではなくデザインとは何かを考えている人だと書いているが、同感である。そして建築も同じで、何を建築するかではなく建築とは何かを常に問い続けることが明日の建築を生み出す力なのである。

レモン40回

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by 卓 坂牛

レモン画翠が毎年行っている卒業設計展が今年は40回となりそれを記念したブックレットが作られ送られてきた。内容は40回記念のシンポジウムと、過去の出展者へのアンケートそして40回の節目節目の卒業設計ダイジェスト。シンポジウムはこの5月に行われた。司会は門脇耕三さん、登壇者は五十嵐太郎さん、古澤大輔さん、中川エリカさん、西牧厚子さん,私である。ちょうど40回の歴史を語れるような人選である。当時のレンモン展、卒業設計の位置付け、卒業設計の生かされ方、将来を決めた分岐点はいつか、などなど質問に答えながら時代を語った。聴きながら当たり前だが時代は移り変わるということを痛感した。また質問のアンケートでは同様の質問がなされた。アンケートの回答とは別に出展者の所属を調べてみるとちょっと面白い結果が出ていた。今から10年くらい前までは出展者の職種はアトリエ事務所だったのが、10年前に逆転して今は組織事務所で働く人の方が多いのである。安定志向なのか、仕事がなくなったのか?面白い傾向である。また過去の卒業設計ダイジェストに山梨の作品が載っていた。山梨とこれだけ付き合っていても卒業設計の話などしたことがなかったので彼が当時からグリーン建築を作っていたのを知って驚いた。彼は根っから日建に向いていたんだ。

から傘の家

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by 卓 坂牛

研究室の学生の親が、から傘の家のお施主さんとご友人ということで学生たちと見学させてもらった。1962年竣工で60年近く経っているのだけれど、古びてない。使いこまれている。生活の秘話をいろいろ教えていただいた。クライアントと建築家の関係も昔はおおらかなものである。から傘の傘部材は60×180と大きくない。断熱はその上でしている。クライアントは配偶者と高校来の知己と知り驚愕。世の中狭い。