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Jan 2020

EUの文化戦略

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by 卓 坂牛

EUは文化戦略として日本文化との相互交流を積極的に進めている。EUNICというEUの文化組織を世界中に持ち様々な宣伝行為を行なっている。建築ももちろんその範疇にある。ミース賞という賞作りも文化戦略である。私もその片棒を担いでいる。一昨年EU日本建築会議を主催し、昨年バウハウス生誕100年のイベントモデレーターをし、そして今若手建築家のためのアジア版の賞(ミース財団が関わっている)設立を行なっている。これって簡単に言えば世界の文化的ヘゲモニーをアメリカと競う地道な活動である。

かたやアメリカはどう対抗しているのだろうか??アメリカ大陸内でさえ共同で卒業、修了プロジェクトのコンクールなどまるでない(とUCLAのカレンは言っていた)し、日本へのアプローチもあまりないように見える。トランプに取って文化は何処吹く風か?

使えないルール

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by 卓 坂牛

同級生が、山梨で建築主事をしていた時、補助金がらみの仕事は年度内設計施工完了というルールはやめたらどうだと言った。すると県ではそんな無理なことはもはや言わない。言ってるのは建築を知らない厚生省あたりだろうと言われた。使えないルールはどんどん変えて欲しい。

か今回入札が不調に終わった。この場合、随意契約が可能となるが契約額は入札予定価格でなければならないというルールがある。その額で契約できる会社があったら不調になならないわけである。いい施工者、職人は減少傾向なのだ。これも使えないルールである。

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by 卓 坂牛

甲府は雪が降り始めた。そのせいではないようだが電車は遅延。夜半から本格化しそうである。既に明日の欠便が表示されている。

 

今日は入札

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by 卓 坂牛

今日は入札である。かつて5回入札をしたことがある。1回は日建時代。金融機関の本店だった。一回でおちず、次の日再入札して落札した。残り4回は独立後の児童養護施設。4回中1回は不落だった。一昨年の話である。毎回ドキドキである。落ちれば契約へのプロセスとして入札ほど楽なやり方はない。相見積もりなら軽く2カ月くらいかかるネゴの時間と手間か省かれる。しかし不落の場合は入札のルールによるが手間はかかる。さて今日は?

不調だった。ああ一昨年と同じだ。いつになったら建設価格は戻るのか?

建築が生まれる時

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by 卓 坂牛

毎月JIAマガジンでは建築家の皆様に建築が生まれる時と題してスケッチや模型を載せて頂いている。今自著に載せる建築が生まれたスケッチ二つ発見。運動と風景では地下の天井を斜めにしてその上を階段にすることで箱を壊した時建築になった。Fujihimuroでは既存の開口を曲線でつなぎ合わせた時に行けると思った。

枕草子

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by 卓 坂牛

高校の先生が書いた枕草子の口語訳を読んでいる。ねたきものという章がある。しゃくにさわるものという意味で、清少納言は出した手紙にああ言えば良かったと一つ二つ直したい言葉に気づいた時はしゃくにさわると書いている。本を書くと本になってからこう書けばよかったと思う場所がいろいろある。でもしゃくにさわるというほどではない。清少納言ほど感性が鋭くないのだろう。

 

 

箱から場へ

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by 卓 坂牛

コピー紙に印刷された英語のテキストが学内にあり読んだらえらく面白かった。出典を見たら松村先生の『ひらかれる建築』の英訳だった。さっそく日本語を読んでみた。建築が市民の手に獲得される過程を箱から場へという変化に即して書かれていた。面白い。そしてこの変化は建築美学的には空間から場へであり、隈さん的にはブォリュームから被覆へとなる。どうも間(箱、空間、ブォリューム)は旗色悪い。しかしこの◯◯から◯◯へという言い方はセンセーショナルな味付けがされていて◯◯と◯◯へが正しいと思う。それは事実がそうだということだけではなく、両方あるから(多様だから)楽しいという意味もある。

 

理念、課題、答え

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by 卓 坂牛

テストをした。君の建築の理念、課題、答えは何か?答えとして読めたのは一つ。理念は中性性、課題は形態の言語化、答えは部分解と全体解の融合。と言うもの。理念という抽象的な朧げなものが徐々に具体化していく思考の足跡が感じられる。

いじめ

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by 卓 坂牛

母校の中学で話題の『いじめが終わる方程式』を読んでみた。僕らの頃もいじめはあったなと記憶が蘇った。いじめはトラウマやコンプレックスの裏返しである。しかしいじめはいじめる側だけに原因があるのではないらしい。自ら様々ないじめから脱出した経験から、著者はいじめの原因はいじめられる側の、「いじめられる」と思いこむ思考のルーチンにもあると言う。これは大人の世界でも同じだそうで、人間は攻撃本能と防御本能は同じだけもっていて、防御本能を晒していると攻撃本能の餌食になる。だからひょんなタイミングでこの立場は逆転するのだと言う。

 

左右対称

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by 卓 坂牛

藤森さんのコロニアル建築の解説が面白い。下見板コロニアルは西回り、ベランダコロニアルは東回りで日本にやってきた。ベランダコロニアルは左右対称プラン。古来建築は左右対称だが、日本では住宅は非対称だった。そう言えば日建時代の設計は8割左右対称だった。やめて住宅やるようになったら全部非対称である。伝統的?しかしこれから工事に入る子供施設は3棟あり全部左右対称である。意識的に左右対称にしたのは藤森さんの指摘が、理由ではなく、左右対称は構築物にとって自然でありその自然さが現れるのか見たかったからである。