いい加減な制御
いい加減な制御ということを考えているそれは「良い」「加減」の制御ということで出鱈目ということではない。たくさんの、複雑な、ことをコントロールするのにどうしたらよいかという疑問に答えるための概念である。
例えば、街づくりというようなものを制御していくときに、制御する人(役所の人、建築家、街づくりnpo)がいて、制御される側の人(住人、企業、お店の人など)がいたとする。そういう場合、しっかりとしたルールはきっとうまくいかないもの。最初から30%はうまくいかないと考えておくべきである。そこで「しっかりとした」の反対である「いい加減」を持ち出す。いい加減とは何か?制御する側とされる側の柵をなくすことではないか?つまり、役人も住人も一緒に考えるということである。それでは制御ではないではないか?と思わず考えてしまう。しかし自分で自分を制御することだって世の中にはたくさんある。ただそういう制御は甘くなるから制御ではないと思っているだけである。甘くなるのはたくさんいることである程度カバーする。そして、とりあえず第三者もいることで制御の公共性は保たれる。だからこれも立派に制御であろう。
最初から失敗を組み込むことが重要。失敗と不適合が30%までなら、それは失敗でも不適合でもないとするのがいい加減ということである。
ある意味では、気持ちに余裕が持てる考え方ですね。今まで漠然と考えていたことがこのような言葉にされると明快になります。