A0
A0の勉強会、ColominaのSexuality and SpaceとVidlerのWarped Spaceから各自面白そうな論考を一つづつ読んできて発表。コロミーナの‘sexuality and space`はプリンストンで行われたシンポジウムの記録ということになっているが、載っている論文はかなりキチンとした論文である。Lynn Spigel の論文The Suburban Home Companionは40年代アメリカの郊外住宅の中でテレビが男女の性差をどのように構造化したかを跡付けている。またMark Wigley の論文 Untitled:The Housing Genderはアルベルティの建築論の中から家族論を対象に空間が男女性差を確立しているというユニークな着眼点の考察を行っている。sexuality かgenderかという問題はさておき、トピックが面白いし、資料がしっかりしているようである。一方ヴィドラーは論文集ではないがパートが二つに分かれており、前半は近代の不安や恐怖の一般論、後半はそれに即した作家紹介という形で前半を誰も読んできていないので、まだ全体像がつかめていない。
双方面白そうだが、もう一回内容を見る勉強会を開くこととした。教科書は、Geoffrey ScottのArchitecture of Humanismも加えることとした。
夕食後長野に、車中D.A.ノーマンの『誰のためのデザイン?』を読む。認知科学者のデザイン原論と副題がついている。家電製品の操作の分かりづらさはデザイナーの責任という話しである。では分かりやすくするためのポイントはというと、視認性(visibility)と対応づけ(mapping)と彼は言う。つまり操作器具は何をするものか対応関係が明確で操作した結果が目で見えなくてはいけないということである。当たり前のことだが、なるほどと思う。
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