technological sublime
朝、k-project引渡し。ほっとする。天気も幸い明るい曇り。jt写真と10+1動画を並行して撮影。大沢さんはまた独自のアングルを見つけたようだ。出来上がりが楽しみである。
事務所に戻り、打ち合わせ。川崎の家見積もり業者を何とか選定。来週の確認に向けて進捗チェック。夕方テキサス大学の大学院生Kevin Sample君がが日本現代建築の研究ということでインタビューに来る。(彼のホームページは下記)1時間ほど設計のプロセス、日本の現場の特徴、僕にとって建築の定義とはなどなど、お話する。http://kevinsample.com/?p=13
インタビュー後帰宅。amazonからDavid E. Nyeの‘American Technological Sublime`MIT Press 1994が届いていた。
話は6年前に遡る、東大で講義したとき、講義のテーマは「質量と形式」というものだった。質料ではなく質量としたのは、質料プラス量というつもりだった。量という概念がモダニズムには主要なテーマだというのが僕なりの直感。それはモダンテクノロジーが可能とした建築の大きさのことであり、ぼくの修論のスカイスクレーパー論の帰結であるところの「スカイスクレーパーの特質はその高さから生まれる」ということに関係する。つまり建築の表現に量は重要な要素であるところから思いついたことなのである。その量は様々な現象を生むがその一つが崇高という概念に結びつくだろうなあと思っていたら、そういうことを書いている人はやはりいたわけだ。宇波彰の本に引用されていたので原書が見たくなったのであった。
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