自壊の理屈
コラムにも書いた渡辺靖の『アフターアメリカ』を読み終わった。そこに登場するボストンブラーミンと呼ばれる富裕層は数世代の中で自らの習慣を崩しそこから脱皮しようとする現象が観察されるとのこと。それを著者はブルデューの文化的再生産の議論では軽んじられる事象であると記している。
そうかもしれない。ブルデューに限らず、世の中は習慣という慣性に乗っかって再生産の方向に向かうと思うのが常だが確かに自らを突き崩そうする力学もあるものだ。さてしかしその力は何処を震源とするのだろうか?社会への不満は革命的力の震源ではあるものの、富裕層における自壊の力学はそれとは異なる。それは一つの倫理であったり、向上心によるものだろうか?
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