ミケランジェロ
朝一のバスで長野へ。アレッサンドロ・ノーヴァの『建築家ミケランジェロ』を読む。この年になって改めてルネッサンス建築をじっと見ると、やっとマニエリスムと呼ばれる修辞的な建築操作が少し理解できてくる。そしてブルネルスキを読んだ時も痛感したのだが、彼等は無尽蔵の金と権力に後押しされて好きなことができた建築家でもなんでもなかったということである。
例えば彼の初期の作品となるはずであったサンロレンツォ聖堂のファサードの設計においてはある時期工事費が25000から35000ドゥカーティに増加することをミケランジェロは報告する。そしてそれ以外の理由も併さり、教皇レオ十世は工事を中止した。ミケランジェロは3年間を棒に振ったことで精神的な大打撃を受けるのである。最近私にも似たようなことがおきた。3年とは言わずとも、少々時間を無駄にし、それなりに精神的には打撃を受けた。しかしこんな俗な私の出来事に近いことがミケランジェロにも起こっていたことを知ると、不思議なようでもあるし、この天才にしてそうなら自分も頑張らねばという気にもなる。
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