学校格差
去年の2月から朝日新聞で42回に亘り連載された「分裂にっぽん」という記事がある。僕は3ヶ月ごとに新聞を変えているので2月の最初の2回くらいは読めたが、その後が読めなかった(最初の記事についてはhttp://ofda.jp/sakaushi/diary/2006/02/に記した)。その後の連載が読みたくこの記事を担当した友人に43回分のコピーを郵送してもらった。読みながら痛切だったのは教育にかかわる部分である。9月17日の「公教育『底上げ』思想薄れたー学校格差進む固定化ー」という表題の記事である。経済財政諮問会議の中で財界人らによって提案された人気の高い小・中学校に資金がより多く流れるように促す制度の話から始まる。98年のゆとり教育から一転して競争的な仕組みが小泉政権時代に確立された。そして平等から格差是認。個性重視は競争偏重へ変化したと語られている。
さてこれが痛切なのはまさに現在の大学がそうなっているからである。小中学校だけではない。昨日の帰り各大学の教師と話をするとその格差には空いた口が塞がらない。人気があるかどうか、努力しているかどうかではなく、スタート時点で差がつけられていたようである。走るのが速い子のスタート地点を後ろにしてくれとは言わないが、速い子のスタート地点をもっと前ににされたら差は広がる一方である。それは格差是認ではなく格差増強である。
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