おめでとう
卒業生修了生に贈る言葉
先日読んだ大前研一の本にこう書いてある。社会での活躍と学歴には相関関係が無いと。昨今は入社のエントリーに大学名を書かせない会社も登場してきており、所属より人を見るということも徹底してきてはいる。しかしそうは言っても僕の感触では高い偏差値の大学を出た人は総合的に見て仕事が上手にできる確立が高い。その一番の差はどこにあるのか?
二つあると思う。まず一つは粘り強さ。決して諦めないことと徹底した探究心である。そして二つ目はその粘り強さで得た知識や知恵に裏付けられた自信である。
実は粘り強さはこの自信を生むための経過に過ぎないから、結果的にもっとも重要なことは自信なのである。社会とは若気の至りではあっても自らの主張を通し自己実現していく場である。路傍の石のように暮らすのが性に合っている人もいるかもしれないが、大多数のひとは何かをやり遂げる達成感を得ることが生きがいとなっていくものだ。そうした主張を通していくときに最も重要モノは自信だと僕は思っている。もちろんスカな自信など世の中は相手にしない。いやそれ以前に自分自身がそんな自信を持てるわけも無い。そのためにはその主張が自らの中で徹底して考え抜かれたという充実が不可欠なのである。さてしかしではその粘り強く探求するその限界をどこに設定するのかというのが次なる問題である。
大学という閉鎖的な社会で暮らし(特に信大は他大学との交流が少ないので)た学生はそのグループのレベルにいる。そして君たちはそのレベルとは様々な意味で異なるレベルの人間とこれから接していくことになる。そしてそうした場で君たちは必死でがんばっても打ちのめされる時が必ずやあるだろう。そしてそれが実に重要である。その打ちのめされたときに、自分の粘り強さを考えて欲しい。今まで考えていた自分の粘りや探究心の限界がまだ限界ではなかったことをそこで学ぶのである。新たな粘りの限界をそこで設定していって欲しい。
よく言われることだが、褒められたり、賞を取ったりという経験はあっという間に忘れてしまう。それにそのことが本当にすばらしいことなのかはよく分からない。たまたま上司の気まぐれで褒められたのかもしれないし、たまたま審査員と波長があって賞を取れたのかもしれない。しかし、本当に間違っていて怒られたことや本当に力不足で賞を取れなかったことは実に学ぶことが多い。そしてずっと記憶のそこに沈殿している。そうした沈殿量を次のばねにできる人が本当に伸びていく。長い人生において持続的な粘りを自信につなげること。これが君たちに贈る言葉である。
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