渋沢敬三との縁
4月22日
『旅する巨人宮本常一と渋沢敬三』を読み終えた。久しぶりに「偉い人」に遭遇した感動が心に残った。渋沢敬三は日本の資本主義のドン渋沢栄一を祖父に持ち、生物学を志すも、父が廃嫡となり渋沢家を継ぐこととなった学問を愛する経済人である。彼は第一銀行の頭取から日銀の頭取を経て大蔵大臣になるも自ら愛した民族学の場を自営し、仕事の傍ら学問をこよなく愛した人物だった。そんな彼は戦争中、日銀総裁の身分でいながらひそかに職を失っていた大内兵衛に2千円という大金を渡し、ドイツのインフレーションについての報告書を書かせ、大内は無署名でその報告書を提出したそうだ。また彼は周囲の大反対を押し切って日銀調査部顧問として向坂逸郎を迎えた。マルクス経済学者の巨頭二人を日銀が活用するのは前代未聞。彼らの経済学者としての才能ゆえではあるが、渋沢の度量の大きさが伝わる話である。さてこの渋沢については私事だがもっとびっくりする話に出会った。渋沢の秘書兼執事として代々使えていた人間に杉本行雄という人がいる。彼は戦後青森の渋沢農場の原木伐採によって得た資金を元にして東北一の観光王との異名をとった人物である。最近のカーサブルータスの東北で泊まりたい宿にも載っていた古牧温泉のオーナーでもある。この東北の大金持ちは私の祖母が営んでいた東北の料亭の顧客であった。そして私が幼少のころ夏休みに過ごすこの料亭に頻繁に訪れその当時とんでもなく珍しいキャデラックに乗せてくれたおじさんだったのである。祖母の死に際してこのおじさんと私が弔辞を読んだ記憶がある。そのおじさんが渋沢家に仕えていた人物だったとは今の今まで知らなかった。そんな私が渋沢の卒業した学校で学んだというのもまた何かの縁を感じずにはいられない。
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