朝の須坂
朝、須坂市で会議。長野から電車で30分。朝の須坂駅には人もまばら。駅にあるミスタードーナッツでコーヒーを飲み会議が行なわれる郡役所(緑色板張りの擬洋風建築である)までぶらぶら歩く。長野よりも一層寒いのだが、古い町並みの中を歩くのは気持ちがいい。3年前から工学部は須坂市と協定を結び、須坂の蔵を教材にさせてもらっている。僕も2年の最初の製図課題の敷地を須坂の一角とし、優秀作を一般展示している。敷地を読み蔵の町から何かをもらう設計をと思っているのだが、2年生の課題でそうした高度な思考を求めるのはまだ無理である。
今日は卒論、修士論文の提出日。卒論は12時まで。皆無事に提出できたようだが、提出は学科の印鑑を貰う儀式である。内容はこれから精査される。修士論文は3時までに提出せよと言っていたのに出されたのは夜。時間を守らないのなら設計などやめた方がいい。計画性が無い人間が計画するということは自己矛盾だ。
夕刻茶室の見積りが届く。思った以上に高い。インテリアといえども馬鹿にならない。まだ一社なので本腰がはいらないのだが、、、、、やめる物、減らすべき業種を考える。ふー。
夜引き続きコラージュ論を読む。初期綜合的コラージュの重要なコンセプトの中に「技術の否定」と「技術的な個性の否定」があることを知る。この後者がその後のオートマチズムに繋がる。非作家性と一時期騒がれた概念も繰り返し出てくることなのだと改めて思う。そしてこの概念も例えばファッションではグローバリズム・コングロマリット(非作家的)後のチャラヤンのように芸術家的デザイナーを半ば必然的に招来するのである。波は繰り返し打ち寄せるものである。
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