篠原と菊竹
朝から事務所で雑用に追われる。昼食時我々夫婦の中高の同級生が配偶者を訪ねて我が家に遊びに来た。事務所を少し抜けて自宅で彼女達と少しお茶を飲む。なんだか一瞬中学時代に戻ったような錯覚。事務所に戻り、6月のスケジュールについてスタッフミーティング。なかなかリノヴェーションに取りかかれずにやきもきするのだが、こう言うときにアイデアを貯めるということか。
篠原一男の白の家(1967)の抜き刷りを読んでいたら、この住宅のテーマの一つが永遠性であると記されている。そしてその永遠性について、こう書いている「多くの人びとは社会の生産力に強い関心を持ち、住宅の新陳代謝方式を考える」そして、暗にその態度を批判し、自らは人間の本能的な永遠性への希求を建築化していると述べる。ここで新陳代謝とは10年前とはいえ菊竹さんのスカイハウス(1958)が念頭にあったのだろう。この新陳代謝理論が『代謝建築論か・かた・かたち』にまとまるのは1969年であるし。
菊竹さんはこの代謝建築論で「空間は機能を捨てる」という節を設けてその中でこう述べる「形態の美しさは、常に生々と建築が機能しているところにのみ生まれるものではない。むしろ建築から機能が欠落し、存在としての環境的空間に立ちかえっていることによって、より容易に、より強烈に発見される場合があり、、、」
篠原は当時のトップランナーである菊竹を批判することで自己を鮮明にしようとしたのだろうが、どうも僕には両者が何かを共有したように思えてしかたない。いやもちろん表面上の志向は異なっている。しかし、両者ともにモダニズムのある種の機械的な割りきりに対するアンチテーゼを保持している。そして尚且つ双方とも狂気とも思える空間の美へのこだわりがある。スカイハウスの空間から白の家を想起させられるのは僕だけだろうか?それは平面形が同じ(一辺約10メートルの正方形)輪郭を持っているということとは関係ない。
興味深い指摘ですね。建築論に日本伝統事物からカーン的?コンセプトを抽出し、形態として伝統を想起させる直裁さの菊竹氏に対し、日本伝統事物から私性の抽象を発見的に扱い現代を形にした篠原氏。其の前の50年代(丹下/白井)などもあの頃は、建築のロジックを相対的に創作する為の構図がエンジンになっていたのかもしれませんね。昔の建築文化・新建築の磯崎/篠原も非常に興味深いです。そういえば、最近は複雑系になりみな小難しくなって「美しさ」を素直に語りませんね。美しいものが減ったのでしょうか。