自然
朝一大学院の講義。今日のテーマは自然。前半木田元の反哲学に基づいて話をした。日本は自然の中で思考する。西欧は超自然から自然を把捉しようとする。それが哲学である。よって日本に哲学は生まれなかった。近代に入り哲学は科学と言う援軍を得てついに自然を拒否するに至る、一方でニーチェハイデガーという人々によって反哲学が生まれる。そして日本でも近代とは自然を拒否する時代となりそれを丸山真男は作為という言葉で呼び、それまでの自然(じねん)の対概念として近代を作り上げる主要な概念とした。
というあたりまで木田の受け売りをしたところで先日読んだ磯崎の話しを思い出した。それは磯崎が大分県医師会館を学生の身分で依頼された時の話し。クライアントは岸田日出刀に名前を貸り、実際の仕事は磯崎にやらせるようお願いしたそうである。そこで磯崎は岸田に挨拶に行く。岸田はもちろん丹下の先生であり、あの丹下を怒鳴るほどの強面だったそうだ。緊張して挨拶に行った磯崎に岸田は「作為に溺れるな」と言ったとか。それはこの丸山の作為と自然が下敷きにあったと磯崎は解説している。そして磯崎はもちろん、作為の建築家の道を進むこととなる。
ギリシア以来の自然概念は近代に敬遠され、そして磯崎もそれから距離をとり、しかし21世紀この概念を我々は拒否できない。ではしかしどう受容するのか???というのが今日の講義だった。
午後4年生の製図。東大では4年の製図は院生も受講できるとバイトの武田君が言っていた。信大でもそうするかな?
帰りがけ丸善による。建築書のコーナーに自著が平積み。気恥ずかしいやら、嬉しいやら。モネオの新刊、ファッションのコーナーで服飾史など5~6冊放り込み宅配。足が未だ言うことを効かないせいか体の疲れ方が早い。事務所に寄らず帰宅。最近いろいろな方から謹呈本への御礼の手紙を頂く。勝手に遅らせていただいたのにご丁寧な激励やお褒めの言葉など。存外の喜び。
こんにちは。贈呈本、ありがとうございました。勉強します。
最近、藤森照信さんに客員教授になってもらった関係で、レクチャーをきいたのですが、近代建築が扱っていないものは2つ。自然と時間というがいなんだそうです。それが、藤森建築を支えている、、、と話しは続くのですが、それもそうかなと。
環境とかを考えるのに、躊躇する理由がよくわかりました。
わざわざどうも。藤森さんが客員で来られていることは山畑から聞きました。しかし自然と時間とはまったくその通りでしょうね。