二国の貧困
湯浅誠『反貧困』と堤未果『貧困大国アメリカ』(いずれも岩波新書2008)を読む。怠惰な貧困は自己責任ではあれど、基本的に「貧困」は自己責任ではない。と僕は思っている。湯浅氏もそう考える(自己責任ではない)一人である。その主張はノーベル経済学賞をとったアマルティア・センに依拠している。センは「貧困は単に所得の低さというよりも、基本的な潜在能力が奪われた状態と見られなければならない」と主張した。つまり所得0でも健康な人と喘息の人では働く潜在能力が異なる。あるいは援助してくれる親戚がいる、親の家に同居できる、学歴がいい、などなど、こうした潜在能力があれば所得が0でも貧困ではない。逆に親が死に、親戚が意地悪で、塾へも行けず、大学に行く金は無かったという風に生まれてこの方潜在能力を奪われ続けてきた人もいる。こうした人が貧困に陥ったとして、それを自己責任というのは当たらないわけである。
アメリカを見習ったがためにどうも変な考え方が蔓延してきた日本だがその当のアメリカの話は笑えない。アメリカの貧困層はちょっと前までアメリカの豊かさを体現してきた中流階級である。2005年のアメリカ全土の破産件数は208万そのうち企業破産は4万。残りはこの中流階級の破産。そしてその原因の半分以上が高額医療だという。2泊3日の出産費用が2万ドル。などなど。事例を読みながら背筋が寒くなった。患者側の保険もさることながら、医者が入る賠償保険の高さも有名な話。産婦人科医が入る保険料が年間数千万で、医者を続けられなくなる話は何度かテレビで見た。原因は保険会社が少なくて保険料が高騰するのだそうだ。われわれは競争原理と言えば下がるものと思い込んでいるが、逆も起こりうるということである。こうした場合に政治が介入しないととんでもないことが起こるのである。こうなると本当に貧困は人災とさえ言える。政治の問題である。日本はアメリカから学ぶことが多多あるのである。尻尾振ってついていくだけが日本の道ではない。
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