シュルレアリスムをめぐって
『シュルレアリスムのアメリカ』を読み進めながら、アンドレ・ブルトン、ポール・エリュアール編江原順訳『シュルレアリスム簡約辞典』現代思想新社(1938)1971、アンドレ・ブルトン森本和夫訳『シュールレアリスム宣言集』現代思潮社1992を併読。前者はGalerie des Beaux-Artsで1938年に開かれたシュルレアリスム国際展のカタログである。第二次世界大戦を前にロンドン、ニューヨークに遅ればせながら、ヨーロッパで初めて開かれたシュルレアリスムの展覧会。このカタログには今井滋の作品も日本人としては唯一掲載されている。大戦の勃発とともにヨーロッパのシュルレアリストはみなニューヨークへ移動。ブルトンと親しかったデュシャンが来たのは1942年。その年に「シュールレアリスム第三宣言か否かのための序論」がブルトンにより書かれる。これは上記宣言集に掲載されている。そこでブルトンはダリのことをドルの亡者と軽蔑的に呼んでいる。ダリは広告を軽蔑しながら広告デザインをやっており、それをブルトンは蔑視していた。しかしそんなブルトンもエルンストと結婚したペギーグッゲンハイムを介してファッションデザイナーのスキャパレリと親交をもつ。スキャパレリはブルトンに加えデュシャンに展覧会を持ちかける。こうして徐々に自立的な芸術が、広告や、ファッションと混じり合っていく。それにしてもダリをドル亡者と呼ぶなんて40年代まだ美術はピュアだったようだ。
*surrealismeの日本語表記はシュルレアリスムが昨今普及しているようだが、広辞苑はシュールレアリスムと音引きが入っている。宣言集のタイトルも同様である。
You must be logged in to post a comment.