無駄
昼のアサマで大学へ。午後の会議は案件が山積み。その上選挙などで終わったら夜。最終バスに飛び乗る。週間誌を眺めていたら椎名誠が書店のブックカバーは無駄だと書いていた。いつもカバーは頼む方なのでそう言われればとふと読んでしまう。彼の言い分はブックカバー自体が紙の無駄。こんなことをしている国は日本くらいだと。そしてさらに表紙というものは著者も装丁者も相当なエネルギーをかける部分でありそれを隠すのはそうしたエネルギーを無視することになるというもの。なるほど分からないではない。なんていうコラムを読んだあとに読みかけの『無駄学』を読むとさてこれは無駄なのかということになる。著者の定義では無駄とはその言葉の使われる対象においての目的と想定時間の中で、想定されるインプットとアウトプットの差が生み出す益が実際どうなのかによって判断されるという。つまり想定と実際の差がマイナスなら無駄という判定である。つまりブックカバーで言えば、カバーすることであがる売り上げ+がやめることでどう変化するかということである。
ふーん本屋というものはそういうことを考えているのだろうか?よく分からないけれどスーパーの袋をやめようという時代だからブックカバーをやめようと言えばレジはすくし、コストも下がり皆共感するようにも思うのだが。
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