作ることと、伝わること
朝、講義のホームページに書き込まれた小レポートを読む。今年はコメントが良い。良いのでコメントしコメントするから学生も応答する。良い循環である。今回の質問は建築家の観念は見る者に伝わるかというようなこと。昨日から読んでいた多木浩二『表象の多面体』青土社2009にそれにかかわる言及があった。それはキーファーの近作である「七つの天の宮殿」というコンクリートで作られた廃墟のような七つのタワーがコルビュジエのラトゥーレットから受けた感動をきっかけに生まれたという話である。ここでキーファーはコンクリートが砂という大地の象徴から生まれ、それを使ったコルは精神的空間を創りあげたと受け取っている。しかしそれはコルの意図をはるかに上回る解釈である。つまりこの話が示唆するところは、建築家の観念が見る者に正確に伝わるルートは残念ながら用意されていないということである。もちろん建築でなければ話は違う。たとえばこの本の後に出てくるマリオ・ジャコメッリの写真などは見る者の多くを悲しみや空虚の感情に導くだろう。そして写真家がそれを意識していただろうことはその写真の表題から想像される。こうした一致がありうるのはそれが写真であるということにも増してその対象が人であることに多く起因している。
午後A0勉強会。今日は担当者が荒訳を作って来なかったので、われわれの班はその場で訳を作るはめに。これは結構しんどい作業。1時から始め5時半でダウン。いつも頭を使ってないのだろうか?終わったらへとへとになった。家に帰ってソファに雑巾のようにもたれかかり動けなくなった。風呂に入ったら少し元気が出たのだが。上がろうと思ったら排水口が詰まっていることに気付く。よりによってこんな日に。近所の薬屋でパイプスルーを買い流し込んだが埒が明かない。管理人室でヴァキュームを借りて排水口に何度も押し当てやっと開通。必死だったせいか体に血が回り少し元気が回復した。明日にしようと思っていたが今晩長野に出かけることにする。車中多木さんの本の続きを読む。ジャコメッリの写真は実に魅力的である。この本には小さな写真しか載っていないのだがこの空虚感はたまらない。大きいのを見てみたい。
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