アメリカの講評会
朝、現地審査の講評を書いていると、隣の研究室の博士課程中国人留学生、李君がやってくる。副指導教官である僕にレポートを提出することになっている。その中間チェック。日中近現代建築における伝統主義の現われ方を比較せよというテーマである。彼の故郷大原の市内の写真を見せてもらう。わっ!高層ビル群!人口300万。名古屋より一回り大きな市であるから、不思議ではないのだが、、、、中国はこんな市がたくさんあるのだろう?計り知れぬ国である。
9時からゼミ。今日は発表者が少ない。終わって、研究生が提出したSDレビュー作品を見せてもらう。いい線行っていると思うのだが、こればっかりは分からない。午後3年生の製図。先日ブログに書いたからか?今日はエスキスを周りで聞く学生がけっこう居る。結構なことだ。夕刻小諸の打合せ。長引いて夕飯を食べ損ねた。木質バイオマスのポンチ絵出すのが今日までだったことを思い出す。イラレで描きメール。こんなのでいいのだろうか?終わって事務所からメールされている模型写真やら図面をプリントアウト。ちょっと面白い、、、、外は雨が降り出した。夕食は今日はなしか?『現代アートの舞台裏』を読み続ける。今日はカル・アーツ(カリフォルニア芸術大学)の話。アメリカで芸術家になるためには一流美術学校のMFA(芸術修士)が必需品。LAならカルアーツ、UCLA, アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン、USC,オーティス・カレッジ・オブ・アートなど。そして学内の授業では講評会が最も重要だそうだ。このあたりは建築と似ている。とは言え大きな違いが一つある。それは講評するのが先生ではなく学生だという点。その上、教師によっては、発表者(作品制作者)にはしゃべらせず、作品のみが提示され同級生によって八つ裂きにされるという過酷な講評会もあるという。建築でも人数を絞ってこういうのをやってもいいかもしれない。まあ2~3年生では無理だろうが、4年や院生が講評者になるというのはありかもしれない。
イギリスでは名門のアートカレッジとされる僕の通っていたGoldsmiths Collegeでも同様の講評会がありました。
やはり、同期の学生同士から批判されるらしく、前日は例外なく皆さんナーバスだったのを思い出します。
ゴールドスミスカレッジはたしかダミアン・ハーストが出たところですね。光岡君そこに行っていたの?知らなかった。
そうですよ。ただ僕は、Media and Communicationsという学部ですが。
ゴールドスミスは、基本的にはアートと社会科学のみのカレッジという珍しい大学です。
両学部とも評価の高い大学です。因みに毛利嘉孝さんの出身校で、毛利さんと僕の指導教官は一緒です。
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