アルファベットも覚えてこない人に英語を教える必要があるのだろうか?
毎年大学の健康診断を受けなければいけない。二日間しかないから講義やゼミがあると受けられない。受けられない人は松本の○○診療所に勝手に受けに行ってくださいねとメールが来る。今朝もゼミだったがゼミをちょっとさぼるしかない。友人の医者に聞くとあんなもので病気が発見できることなどない、ただの気休めだと言う。まあそうかもしれない。確かに全体がいい加減である。今年は身長が1センチ伸びたし。しかし気休めでも、いや気休めとして毎年やってくれるのはありがたいと言えばありがたい。
遅れてゼミに行く。この春からゼミの1時間を使って即日設計をしている。後期からは3年生でも出たい人はどうぞとオープンゼミとした。これは結構楽しい。3年からm2まで全員で即日設計である。先輩ものんびりしてられない。いつもは先輩風を吹かしているひとがこんなものかとバレテしまう。まあ1時間の即日設計はテクニックだから建築の本当の力が現れるとは思わない。言ってみれば受験のようなものである。でも受験勉強だってばかにはできない。僕らの(僕の)知識を形成している何パーセントかは受験時代のものである。若いころに真剣に覚えたことは忘れない。学生の頃に必死に身につけた力は一生残る。それにしても毎週やっているのに上達する意思のない人たちがいる。何も素敵なデザインをしろとは言わない。目を見張るような空間を作れとも言わない。せめて線はまっすぐ引いて、字は同じ大きさでで書くだけでいい。毎度同じ指摘をしてもそれをやらないのはもはやその人の能力の問題とは思えない。努力しないだけのことである。英語をしゃべるのにアルファベットを覚えてこないのと同じである。そんな輩にに英語を教える必要があるのだろうか?
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