事務所の役割分担
午前中ののぞみで大阪へ。夕方日建の集まりがあるのだが、せっかくなので国立国際美術館と弁護士会館を見る。美術館は全面地下化されエントランスが巨大彫刻となっている。ペリの設計である。エントランス周りから差し込む光が地下3階まで落ちていくような設計である。ちょうど長澤英俊の展覧会が行われていた。この建物は東工大の同級生だったキースが卒業後ペリ事務所にはいり担当していたもの。ディテールはたいしたことないが、大きな作りはやはりうまい。美術館を後にして車で弁護士会館へ。これは日建大阪の江副さんの設計。彼は日建の中ではもっとも上手な設計者の一人。スレンダーな柱梁のフレームの裏にガラスの箱を置く設計は僕の長野県信と同じスタイルだが、その細さ、薄さは見事である。またマテリアルがとても凝っている。それでいていやらしくない。思わずうなる。
全日空ホテルへ向かう。年に一度行われる日建のOB会である。300名近い懐かしい顔ぶれ。全役員も出席する。不況のこの時期に未だにこういう催しをし続けられるこの会社は怪物である。久しぶりに会長、社長とも会い比較的ゆっくりとお話ができた。しかし日建をやめて早10年。少々空気の違う世界で生きていると、懐かしいとともに別の世界にきたような不思議な感じもある。
そもそも日建のような会社は社会のエスタブリッシュメントを相手にし、そのクレビリティを売りに生きている。エスタブリッシュメントとは一般的にやや保守的だし、慣習的である。当然その依頼もそうしたものにならざるを得ない。その意味では原理的に日建の役割とは新しい何かを作ることではなく、すでに確立されてきた何かを洗練して、確かなものとすることなのである。今日見た弁護士会館がまさにそれを表している。一方アトリエ事務所とはエスタブリッシュメントから仕事を頼まれることは少ないし、築き上げてきたクレディビリティなど比較的少ないわけで、その意味では自由であり、新しいチャレンジをしやすい。あたりまえかもしれないが、そうしたずれを久しぶりに会って話をすると感ずるのである。しかし一方でアトリエの自由さ革新性は常に可能かというとそうでもない。ランドルコリンズの『社会学の歴史』の闘争理論を読みながら思うのだが、革新的なことをする人たち(革命家)はどうも貧困の闘志などではないのである。彼らは裕福な余裕の人間たちだろうと思われる。マルクスもエンゲルスと言う富裕な友人の支援があったからこそ闘争の思想に没頭できたのである。建築もしかりだろう。食うに追われて革新的なことなどできるわけもない。のぞみ、あさまと乗り継ぎながら車中そんなことをつらつらと思う。
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