ポスト消費社会
午前中自転車で六本木へ。ジョギングしようと思ったが昨日の歩き疲れで足が痛い。新国立美術館を覗こうとしたら、1月5日まで休館だそうで、森美術館まで行く。「医学と芸術展」http://www.ofda.jp/column/を見て帰りに四谷丸正でパンを買って帰る。ブランチをとってから年賀状に署名していく。一言書きいれようと思ったが、余りの量にうんざりして大部分は署名のみ。 夕方『ポスト消費社会のゆくえ』を読み続ける。辻井の実感では60年代に始まる大衆消費社会が終るのは80年代半ばだそうだ。その頃電通の』藤岡和賀夫が『さよなら大衆』を著し、大衆から分衆の時代を宣言する。しかし上野によればそれは単に階層消費の兆候と読めたと言う。まあ僕の感じでは会社勤めが始まった80年代の半ばにまだ階層消費は感じられなかったし、一方で分衆化がそんなに顕著だとも思わなかった。80年代は概ねバブルの風にのって十分皆大衆的だった(もちろん分衆化や階層化が潜在的に胎動していたのだろうが)。しかしここで参ったと思ったのは90年代確実に始まる階層消費に対して西武は既に80年に無印を作る一方でグローバルブランド(エルメス等)のライセンス契約をとっている。つまり階層消費の両側をしっかりおさえポスト大衆化時代を迎え討つ準備をしていたのである。商売人にはなれないなあとつくづく思う。建築なる商品(?)をこの時代にはめ込んでみると大衆消費社会の建築と言うのは結局プレファブメーカーだtったのだろうか?建築家と言う職能はなかなか大衆と相いれない。やはり基本はオートクチュールである。プレタポルテあるいはそのシステムを建築家は考案出来なかった。しかしそれでも数少ない関心を持った建築家の中に、伊東豊雄や坂本一成がいた。もちろん彼らが本当の意味で大衆消費的建築を作ったわけではなかったし、彼らの大衆消費を意識した方法がその後の建築の方向性を変えたわけでもない。あれはあの時代の処し方だったのではなかろうか?そしてその後分衆あるいは階層化の時代に入ることでまた建築が本来の一品生産的な特性を保持しながら安定した(ように見えてしまう)。建築は結局この時代の社会の流れから何も影響されなかったのだろうか?何事もなかったかのような21世紀?
もう少し冷静に考えてみたいところである。
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