たおやめぶり
朝食後しばらく自宅で調べもの。フォーティーの『言葉と建築』によれば西洋建築の評価軸には男らしい・女らしいという比喩があり、それに則れば評価が高いのは古来男なのである。その理由は頑丈で堅固なものでなければ人を守れないからであろうと推測される。建築って当然そうだよなと思う。しかしそう思う反面、世界中どこでもそうだったのだろうか?と疑問もわく。それは西洋が狩猟民族であったことに関係しないのだろうか?ちなみに日本では縄文的(狩猟時代)・弥生的(農耕時代)という通俗的美意識の二元論がある。それは和歌では「ますらおぶり」(男性的でおおらか)な万葉集「たおやめぶり」(女性的で優美)な古今集と繋がるし建築も陶器もそうした二つの系列が表現の軸になってきたところがあった。そしてこの「たおやめぶり」の美意識は既述の通りフォーティーの西洋建築史には顕著には見られない、他の文献を調べても見つからない。これってかなり日本独特なのではなかろうか?(いや自分で言ったことに従えば、農耕民族にはあるはずの美意識かもしれないのだが、、、、)そこでそのことをかみさんにも尋ねてみた。「どう思う?」。彼女曰く日本のそうした美意識の対比は書道史の中にもみられ、平安から鎌倉へかけての書の変遷は典型的な事例のようだ。それは繊細優美から粗で荒々しい字への変化。貴族の暇人と戦う武将の差が表れるのだそうだ。うーんそれは、狩猟、農耕とは関係ないのだが、、、でも平安の「たおやめぶり」が生まれたのは農耕社会ののんびりムードが関係しているのではないのだろうか?ま、その結論はおいておいて、概説本ではこうした変化を女性性から男性性への移行と説明するらしい。しかし彼女が言うにはゲシュタルト的には認知できにくい線の中身に本質があり、繊細優美な平安の字を表層的に女性的と呼ぶのは間違いだというのである。これはかなり本質的な問題をぐさっと突いている。確かに表現の本質において女性的とか男性的という形容は全く意味をなさない。建築を擬人的にそう呼ぶのももはや無意味である。ただ、世の中がそれをそう呼んだという事実だけが意味を持っている。つまりそれこそが性にまとわりついたイメージのお仕着せなのであり、そのお仕着せの事実こそがジェンダー的に意味があるわけだ。なんて支離滅裂なことを考えながら、事務所へ。スタッフと類型化した住宅分析51棟をもとに打ち合わせ。なるほど名建築でもプランはステレオタイプだったりするものだ。つまりプランじゃない所で作っているということである。プランのセイムスケールってよく見るけれど、今度は断面のセイムスケールを作ってみようかな?
午後のアサマで大学へ。風のため新幹線が遅れ気味。アサマは超混雑。隣に座ったビジネスマンがマスクして死にそうなくらい咳をしている。席を移動したいのだが廊下も立っている人がいて身動きできず。車中未だ戦争本を読み続ける。やっと第一次世界大戦。この本では外交文章を例示しながらことの因果を説明する。その結果何故この当時、子供のケンカのようにいたるところで戦争していたのかが腑に落ちるように出来ている。その腑に落ちた僕なりの理解は、それまでの世界は現代世界のように国家がジグソーパズルのようにピタッとはまって出来ていたのではなかったというものである。大国と言われる国は数えるほどしかなくて、後は空き地っていう感じだったのだ。つまりパズルで言えば100のパーツで完成するところに10しかパーツが無い。だからそのパーツはどこにでも置けちゃうのである。言いかえれば世界中に空き地が一杯あって(もちろん人は住んでいるのだけれど)空き地を誰が使おうがそれを誰も文句は言わない。「でも俺が使いたい空き地にはあまり入ってこないでよ」という、そんな世界だったのだろうなああって思うのだ。野原で子供たちが野球やったりサッカーやったりして「俺らのサッカーやってるところに、外野入ってくるなよ」と中学生の兄ちゃんが小学生を追い出しているようなものである。
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