縄文・弥生
朝方の脳みその調子がいい内に昨日届いた、梅原猛編『日本とは何なのか』NHKブックス1990の梅原の序文を読む。梅原は平安の王朝文化の基底に弥生を指摘し、その後起こる武家文化を縄文人の遺民による土着日本の噴出と言う。その後千野香織編の『日本?女?美?』に掲載された池田忍の「ジェンダーで読み解く美と権力」を読む。池田は日本文化の中でも王朝文化を持って女性性とする既成の考えを批判的に論じる。源氏物語絵巻から紫式部絵巻日記への男性像の描き方の変化(大きくなり、男らしくなる)に注目し、それは唐と武家への対抗意識であると指摘。またそもそも岡倉天心は王朝文化を女性的であると否定的に扱っていたのが、フェノロサはその逆を輸出し、いつしか逆オリエンタリズム的に日本=女性が定着したと主張。こうして見ると、やはり、ある文化を女性性、男性性で形容することに本質的意味を感じない。それはただ安易で分かりやすい形容でしかないのではなかろうか?ただ、梅原が言うように、縄文的なるものと弥生的なるものが弁証法的に日本文化を形成してきたことは納得のいく話しだ。午後事務所へ。やっと年末作っていたportfolioが印刷されて届いた。スタッフのN君、T君の力作である。住宅のスケッチを続ける。夕方それをもとにT君と打ち合わせ。案を3案に絞り、模型の作成を指示して長野へ向かう。車中、辻 惟雄『日本美術の歴史』東京大学出版会2005を読む。この本これだけカラー図版が多くて2800円とはビックリ。よく売れているということだろう。さすが辻 惟雄である。
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