ファッションと絵画
週明けにやらねばとメモっておいた雑用をこなす。こういう時は「一番いやなことからやれ」とものの本には書いてある。嫌なことが先に終わると気分が晴れて次が効率的に運ぶからだそうだ。もちろんそれで問題のすべてが解決するとは限らない、相手から投げられた問題は打ち返してもたいてい打ち返される。しかし返しておくことが重要である。空振りは禁物。そうやって8つくらいの球を打ち終えて昼食。午後昨晩読みかけの深井晃子『ファッションから名画を読む』php新書2009を読む。服飾にもロココから新古典への移行があったことを知る。煌びやかなマリーアントワネットの肖像(例えばルブランのそれ1783)からダヴィッドの『レカミエ夫人』(1801)などの質素なドレスへの変化があった。素材は絹から木綿である。やはり建築とファッションには相同性がある。金があれば服も建築も派手になるし、無ければ質素になる。当たり前のことである。更に印象派の時代になると肖像画はモードの担い手でもあるという記述が目を引く。ルノワールはウォルトからポワレまで描き続けたようだ。ファッションとアートはこの頃から密接な関係を持ったようだ。会議を挟んで、フィリップ・フック(Hook, P)中山ゆかり訳『印象派はこうして世界を征服した』白水社(2009)2009を読む。ルノワールが密接に当時の社会状況(モード)に関連しながら自らを売り込んでいったように、近代の画家たちには(それ以前のパトロンのもとで絵を描くのとはわけが違い)絵画を売りこむ方法と市場が必要であった。画家のニーズは市場を整備する画商を生む。ポール・デュラン=リュエルなる名前が登場する。近代芸術(絵が売れる仕組み作り)がここに始まるようである。
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