建築倫理
朝から原稿を打っていた。建築の倫理性についてである。建築がその時代の倫理感に影響されるのは当然だし、もしそれを無視すれば社会からも無視される。しかし倫理と言うものは時代とともに変化するものだから、その時代の変化の兆しをつかんで既存の倫理にたてつくことは許される。それをしたのがスコットであり、ワトキンだったと言える。しかし彼らはたてついた揚句、過去の別モノを称揚したのだから余り発展的ではない。それは批評家、歴史家の限界である。と言いつつ同じようなことをするのも気が引けるが、建築における倫理感を跡付けて行くと、現代まで生きながらえている標語としてヴェンチューリの「多様性」と「対立性」を再評価したくなる。哲学的にはポストモダニズムは既存価値の破壊の時代であるから倫理感が死滅した時代ということになっているが、建築はそもそも破壊という表層のもとで構築せざるを得ない。そこでは構築の論理が必然であり、そこに倫理は死滅したと見る必要はない。多様性と対立性という標語は、哲学的にはポストモダニズム後の倫理感を担うと言われた「他者性」を見事に言い当てている。つまり、同一性に回収されない他者の価値観を認め、主体の価値観との対立を歓迎する態度である。これは今や目新しくも何ともないかもしれない。しかしだからと言って無視できるような価値観でもないだろう。
二十一世紀の倫理感が環境倫理であることは論を俟たないだろうが、ポストモダニズムの残滓のようなこれらの標語もまだまだ死んでない。いやあるいは環境倫理と同等あるいはそれ以上に重要とも言える価値観だと思う。
You must be logged in to post a comment.