日本のゼネコン大丈夫かい?
午前中入札申請を提出した6社の書類をチェック。ホームページにもアクセスして工事実績も詳しく見る。経営状態などの書類は審査基準に達していても、実績から見て心配になる会社が数社ある。昼ごろ事務所を出る。施主の理事長に会社の内容を説明する。心配はあるのだが、審査基準に合致しているのだから不安は押し殺すしかない。3時から現場説明。なんと一社遅刻。困ったものだ。時間にルーズな会社は鼻から信用できない。パンクチュアルであることは建設関係者にとって鉄則である。6か月の工期でこれを作ることの難しさが分かっているのかいないのか??まるで緊張感がない。行きの車中で読み終えた『ベイジン(下)』の話がラップする。北京オリンピックに照準を合わせた原発建設の話。中国建設業界と政府との癒着による入札とは表面だけの随意契約。利益至上主義のゼネコンの杜撰、手抜き工事。その結果運転開始と同時に発生する大事故。そんなフィクションはフィクションで終わって欲しいと願うばかり。日本ではそんなことは起こらないと信じたい。
帰りの車中鷲尾賢也『編集とはどのような仕事なのか―企画発想から人間交際まで』トランスビュー2004を読む。著者は講談社の編集者だった。最初は週刊誌、次に新書、そこで数年たって編集長となる。講談社現代新書は高校、大学時代に大分お世話になった。杉浦康平の装丁が魅力的だった。中根千恵『タテ社会の人間関係』、渡辺昇一『知的生産の方法』、板坂元『考える技術、書く技術』などなど本書でヒットしたと例示されているものは全部読んでいる。新書を初めて読み始めた頃、大人の読書の仲間入りができたと思ったものだが、「あれはパンフレットのようなものよ」と親に言われてショックを受けた記憶がある。そう新書はパンフレットである。読みやすく簡単だから未だに大好きである。
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